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'''奴隷'''(どれい)とは、ヒトでありながら所有の客体となる者、またはその階層や階級をいう。
 
風土・慣習・伝統の違いによる地域差はあるものの、有史以来、人がヒトを所有するという奴隷制度は一般的世界中どこにあった。しかし[[仏教]]・[[キリスト教]]・[[イスラム教]]が人間愛を説いてその存在に疑問を投げかけも見られた。近代になると[[天賦人権説]]が広まり各国で奴隷制度が廃止されるようになった。現代社会では原則としてヒトの所有及びその取引がや売買は国際[[条約]]や[[法律]]で禁止されているが、今も第3世界の貧しい地域では奴隷制度は至売買が公然と行われてい所に差別や迫害に姿地域がある。先進諸国でも人変えて残存拘束して売買し性産業に従事させる犯罪が後を絶たず、非合法の奴隷とみなされる。
 
奴隷制度は時代や地域によって様々な形態が見られる。[[古代ギリシャ]]や[[古代ローマ]]では階級として固定されたものではなく、生活困窮者や捕虜が奴隷の身分に落とされ、後に解放されて自由人の仲間入りを果たすこともあった。[[インド]]では[[カースト制度]]の元で奴隷制度が存続し現在も大きな影響を与えている。[[中国]]では[[律令制度]]などに組み入れられた奴隷のほか、職業で差別される[[賤民]]がいて[[中華人民共和国]]の成立によって解放された。また[[アメリカ合衆国]]においては奴隷制度が経済活動や人種的な差別と密接に関連し身分が固定された。[[日本]]においては律令制度の[[五色の賤]]や[[荘園制度]]の中の[[奴卑]]や[[下人]]が奴隷に当たる。また江戸時代に固定化された[[穢多]]・[[非人]]のように支配政策の上で奴隷身分と同じように処遇された者もいた。
 
== 諸形態 ==
このように時代・地域によって奴隷制度には多様性があるが、共通してその待遇は過酷で存在根拠に正当性や合理性をもたせるものは一切ない。
 
*古代[[アテナイ]]・[[古代ローマ市民]]原則として生産活動に従事しておらず、専ら奴隷の犠牲労働元にこ上で社会生活を営んだ。奴隷は階級として固定さたも華やかでは文化く、生活困窮者や捕虜成立した奴隷の身分に落され、後に解放されて自由人見方仲間入りを果たすことできるあった。当時の奴隷は市民や国家の私有財産として扱われ、哲人[[アリストテレス]]は、「奴隷は肉体によって所有者に奉仕する。」と定義し奴隷の存在を肯定した。
== 諸国の奴隷制度 ==
=== ユダヤ人 ===
[[ユダヤ人]]は[[エジプト]]に移住した後に奴隷化された。[[モーゼ]]の指導でエジプトを逃れ、一時、繁栄したがその後再び国を失い奴隷や捕虜または流民と化した。[[ヨーロッパ]]に移住した者は、[[ローマ教皇]]によって職業選択の自由を奪われ下層階級に置かれた。[[キリスト教]]が金融業を禁止していたため、ユダヤ人は銀行制度を創設し経済に重きをなしたが、隔離された[[ゲットー]]に住まわされるなど差別的な待遇を受けた。[[ナチス]]の迫害を受け世界の同情を受けたが、今もユダヤ人に対する差別が根絶されたわけではない。
 
*古代[[スパルタ]]のように、征服民族が被征服民を奴隷身分に落とす場合、奴隷に対する過酷な弾圧と階級の絶対的固定化・階級間の通婚禁止などの政策をとおして支配の安定化を図った。
=== 古代ギリシア ===
市民は生産活動には従事しておらず、専ら奴隷の犠牲の元にこれらの華やかな文化が成立したとの見方もできる。当時の奴隷は市民や国家の私有財産として扱われ、哲人[[アリストテレス]]は、「奴隷は肉体によって所有者に奉仕する。」と定義した。
 
*[[インド]]の[[ヒンドゥー教]]の[[カースト]]制度で、スードラを奴隷と訳すことがある。所有・売買の対象という意味では奴隷の定義から外れるが、他のカーストの下におかれたことから奴隷の名があてられる。
=== アメリカ合衆国 ===
奴隷は[[アフリカ]]から拉致されて売買された後、強制的につれて来られ人々である。この場合肌の色が黒いのでひと目で奴隷階級と分かることとなった。奴隷制度は[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン大統領]]の時代に廃止されたが、その後も肌の色で識別されるため奴隷階級としての生活が長く続いた。
 
奴隷*近代には[[アフリカ]]諸地域から拉致されて売買された奴隷が強制的[[アメリカ大陸]]輸出されて経済活動に従事させられ人々であるこの場[[アメリカ肌の色が黒いの衆国ひと目で奴隷階級と分かることとなった。奴隷制度]][[エイブラハム・リンカーン|リンカーン大統領]]の時代に奴隷制度が廃止されたが、その後も肌の色で別され、悲惨な境遇から逃れるため奴隷階級しての生活が長く続いは出来なかった。
=== [[南アフリカ]] ===
一般市民以下に固定された奴隷階級を持つ奴隷制度では、両者間に民族的な違いがある場合が多い。征服民族が被征服民を奴隷身分に落として、階級の固定化、通婚の禁止をとおして支配の安定化を図った結果である。([[アパルトヘイト]]参照。)
 
*かって[[中国]]では[[律令制度]]に組み入れられた奴隷のほか職業で差別される[[賤民]]がいた。[[中華人民共和国]]の成立によって解放されるまで、[[封建制度]]が長く続いた中国ではその存在が近代化を妨げる要因になった。
=== インド ===
 
[[ヒンドゥー教]]の[[カースト]]制度にスードラという階級名で奴隷制度が定められた。現在は法的に規定されるものではないが、現実には今も差別が存在し職業選択の自由・居住の自由の制限を受けている。低所得層が多いスードラでは高等教育受ける機会も少なく、その階級から抜け出すことの障害になっている。改宗することによってスードラから逃れることも可能ではあるが、結婚において所属カーストが厳しくチェックされるなど社会の隅々までカースト制度が浸透しているインドではそれも困難である。また、カースト制度には奴隷階級以下の不可蝕賎民と呼ばれる人々が1億人以上も存在していて社会問題になっている。
*[[日本]]の[[律令制度]]では、[[五色の賤]]のうち、公奴婢と私奴婢が奴隷にあたる。この奴婢は、律令制度の弛緩にともない消滅した。平安時代以降には、様々な事情で自由を失った人が[[下人]]となり、主人に所有され、売買の対象になった。これは江戸時代に消滅した。江戸時代に人身売買は禁止されたが、脱法的手段で事実上の売買がなされ、身柄を拘束されて働かされる慣行が、遊郭などにあった。そのため、日本における奴隷制の実質的廃止は、1872年の[[芸娼妓解放令]]にまで下る。
 
== 関連事項 ==
* [[農奴]]
* [[奴隷解放運動]]
* [[マルチン・ルーサー・キング|キング牧師]]
* [[マルコムX]]