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[[ローマ帝国]]の時代になると、[[ローマ皇帝]]はプロコンスルとして大きな権限を持った。皇帝は特例的にかつ永続的にいわゆる'''[[皇帝属州]]'''と呼ばれる属州全てについてプロコンスル権限を持つことが、元老院の承認を得て合法的に認められていた。皇帝属州には一般的に一つか複数の[[ローマ軍団]]が駐留しており、ローマ皇帝は自らの属州を統治するために、ローマ軍団長や総督を任命して派遣した。なお、ローマ皇帝はプロコンスルの権限の他、軍事的な支配権([[インペリウム]])・[[護民官]]・元老院の議長など様々な権限を併せ持った。
 
執政官を務めた者は法律上は依然として共和政の長官とはいえ現実の政治力を失ったが、それでも、プロコンスルとして'''[[元老院属州]]'''と呼ばれる属州の一つの総督になることができた。5世紀初頭の帝国の訴訟に関する文献『[[ノティティア・ディニタテュム]]』 ([[:en:notitiaNotitia Dignitatum|Notitia dignitatumDignitatum]]) にも、3人のプロコンスルについて記録があり、教区の司教(Vicars)よりも権限があるように記載されている。なお、プロプラエトルについては、記載が全くなくなっている。[[ディオクレティアヌス]]帝が[[テトラルキア]](四分統治)を始めると、教区の司教は4つの統治区の[[プレフェクトゥス・プラエトリオ]](「親衛隊長官」の意味−但しディオクレティアヌスの改革により大幅の権力が削除され、[[帝政ローマ]]初期とはほとんど別の職種となっている)の監督下に入った。
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* in the eastern empire ''Asia'' ([Minor], a western part of Anatolia) and [[Achaia]] (i.e. Greece)