「ヤノベケンジ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Cathkidston (会話 | 投稿記録)
Cathkidston (会話 | 投稿記録)
要出典テンプレ貼付、小題変更等
1行目:
{{出典の明記}}
'''ヤノベ ケンジ'''(本名:'''矢延 憲司'''、[[1966年]] - )は、[[大阪府]]生まれ出身の[[現代美術]]作家。
 
[[大阪府立春日丘高等学校]]を経て、[[1989年]][[京都市立芸術大学]]美術学部彫刻専攻卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに短期留学。[[1991年]][[京都市立芸術大学]][[大学院]]美術研究科修了。[[1994年]]から3年間ベルリンに活動拠点を置き、現在は[[大阪府]][[高槻市]]在住
 
[[1994年]]から3年間ベルリンに活動拠点を置く。
 
[[大阪府]][[高槻市]]在住。
 
[[フジテレビジョン|フジテレビ]]スポーツ部[[プロデューサー]]の[[矢延隆生]]は実兄。
 
== 人物・作品 ==
== ヤノベケンジについて ==
=== 幼少期と原体験 ===
ヤノベケンジは当初、自分自身の「子供時代の記憶や関心」に基づいて、現代社会と終末の未来を生き抜くための'''サバイバル・マシーン'''である機械彫刻群を、'''妄想の力'''によって制作してきた。
「子供時代の記憶や関心」に基づいて、「現代社会と終末の未来を生き抜くための'''サバイバル・マシーン'''である機械彫刻群」を、「妄想の力」によって制作してきたヤノベの根底にある体験は、自宅近くの[[日本万国博覧会|大阪万博]]会場跡地で遊んだことという。6歳で[[茨木市]]に引っ越してきたときにはすでに万博は終了し、跡地は再利用の計画も曖昧なまま更地工事が続いていた。近未来的な[[パビリオン]]の残骸や、巨大ロボット・デメが放置されたお祭り広場で遊んだとき「未来の廃墟」のイメージを見たが、不思議と悲しくはなく、むしろ何もなくなったこの場所から何でも作り出せる、と胸の高鳴りを覚えたという。
 
その根底にある体験は、自宅近くの[[日本万国博覧会|大阪万博]]会場跡地で遊んだことという。6歳で[[茨木市]]に引っ越してきたときにはすでに万博は終了し、跡地は再利用の計画も曖昧なまま更地工事が続いていた。近未来的な[[パビリオン]]の残骸や、巨大ロボット・デメが放置されたお祭り広場で遊んだとき「未来の廃墟」のイメージを見たが、不思議と悲しくはなく、むしろ何もなくなったこの場所から何でも作り出せる、と胸の高鳴りを覚えたという。
 
少年時代から[[特撮]](特に、[[怪獣]]の造形)に夢中で、怪獣のイラストをかいたり造型をしてはSF雑誌『[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]』などに投稿していたという。
 
=== デビュー〜1990年代前半 ===
== サバイバル、世界の終わりを生き延びる ==
[[1990年]]、京都のアートスペース虹で、生理的食塩水を入れたタンクの中へ鑑賞者が浸かり瞑想する、体験型作品『タンキング・マシーン』(現・[[金沢21世紀美術館]]所蔵)を発表。同作で第一回[[キリンアートプロジェクト|キリンプラザ大阪]]コンテンポラリーアワード]]最優秀作品賞を受賞。その後、[[1992年]][[水戸芸術館]]での個展「妄想砦のヤノベケンジ」では美術館へ住み込み、ユーモラスな形でありつつ後の[[放射能]]汚染された環境でも生き抜く機能のあるスーツ、サバイバル用の機械一式、それらを収納して移動する車両などを発表。以後「'''サバイバル'''」をテーマに終末的な環境下で使用するための機械彫刻シリーズを続け、1994年以降は[[ベルリン]]へ移住し欧米でも精力的に制作・発表、主に日本の[[サブカルチャー]]との関連でも取り上げられ、注目を浴びた。
 
===1990年代後半〜現在 ===
== リバイバル、世界を再生し未来へと手渡す ==
[[阪神・淡路大震災]]と[[オウム事件]]は、妄想であったものが現実となったことでヤノベに転機を与えた。1990年代後半からは史上最後の遊園地計画、「ルナ・プロジェクト」を構想、その一環として「'''アトムスーツプロジェクト'''」を開始した。[[鉄腕アトム]]にどことなく似た形のガイガーカウンター付き[[放射能]]感知服を着用し、[[チェルノブイリ原子力発電所|チェルノブイリ原発]]や周辺の放棄された都市の廃墟、大阪万博跡の[[万博記念公園]]、砂漠や海岸などを歩き、子供のころに感じた「未来の廃墟」へもう一度戻るための「時間旅行」を試みた。
 
25 ⟶ 21行目:
 
チェルノブイリの保育園で見た人形と万博後の廃墟で見たロボットをモチーフにした大型ロボット、子供の命令だけで歌い踊り火を吐く巨大な腹話術人形型ロボットなどが制作されている。[[2003年]]、[[日本万国博覧会|大阪万博]]の美術館だった[[国立国際美術館]]で、集大成的展覧会「'''メガロマニア'''」を開催。解体された[[エキスポタワー]]から下ろされた朽ちた展望台の一部を使用し、展望台内で生えていた苔を育てるなどの作品を制作した。そして豊田市美術館での個展「KINDERGARTEN」に際し、「[[1970年]]の[[日本万国博覧会|大阪万博]]を作り自分に未来を見せてくれた大人たちと同世代になった今、自分の作る展覧会を見た子供たちが何十年か未来に『あれがきっかけで人生が変わった』と言ってくれればいい」、と言う。
 
ヤノベは制作のテーマを「'''サバイバル'''(-世界の終わりを延長させること)」から「'''リバイバル'''(-未来を作っていくこと)」へと転換させてきた。廃墟を生き延びてきた彼が、この後子供たちにどのような未来を見せようとするのかが今後のテーマと思われる。
 
== 主な展覧会 ==
67 ⟶ 61行目:
 
== 外部リンク ==
*[http://www.yanobe.com/ www.yanobe.comヤノベケンジ アートワークス]
 
{{DEFAULTSORT:やのへ けんし}}