「マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ (1858-1929)」の版間の差分

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[[1879年]]11月、アルフォンソと[[マドリード]]で結婚。
 
[[1885年]]に王が病死したとき、マリアは第3子を妊娠中だった。生まれた子が女児の場合は、王位につくのは長女[[マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン・イ・アブスブルゴ=ロレナ|メルセデス]]、男児の場合はその誕生とともに即位することに決められた。結果、生まれたのは男児だったため、[[アルフォンソ13世 (スペイン子だっ)|アルフォンソ13世]]としてためだちに即位し、成人するまでの間マリアが幼王の摂政をつとめた。
 
==子供==