「ガッリエヌス」の版間の差分

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この事態に、皇帝ガリエヌスは精力的に蛮族撃退に繰り出すが、ガリア帝国・パルミラは現状のまま放置することになった。蛮族対策のために騎兵部隊を軍の主力とし、ローマ軍、ひいてはローマ市民層の変質をもたらした。ポストゥムスら皇帝を僭称する者達も相次ぎ、ローマ帝国の歴史においても屈指の国難の中、奮闘に奮闘を重ねたが結果が伴わず、[[クラウディウス・ゴティクス]]らのクーデターにより殺害された。
 
ガリエヌスは当時の国難に対処するための下記のような現実的な対処を重ねたが、目前の危機に対処するのに精一杯で、そのために自らの本質に根ざした伝統さえも覆した結果、危機はますます深刻化するという最低の悪循環に陥るという時代であった。
 
その1つが[[ライン川]]と[[ドナウ川]]防衛線を繋げていた[[リーメス]]・ゲルマニクス(ゲルマニア防壁)の放棄である。当時防壁内に入り込んでいた[[アレマンノ族]]にその内部での居住を許し、そしてその防衛を請け負わせようとした。そのために居住内建設資金という名目で、年貢金を支払うことまで受け入れた。これで当初は蛮族の侵入阻止出来たものの、防壁の喪失は後の時代に深く祟っていく影響することになる。
 
また1つに、軍人武官と元老院行政文官のキャリアを分離したことがある。これは元老院でも可決されたものである以上ガリエヌスだけの責任ではない。しかし元老院階級を筆頭とするエリート層に「武官と文官との両方を経験させることで、総合的な視野と能力を有する人材を育成する」というローマの伝統的な強みをまた1つ失わせる結果となった。以後ローマは「軍事もわかる政治家」「政治もわかる軍人」を産まなくなってしまう。
 
また1つに、軍人武官元老院行政文官のキャリアを分離したことがある。これは元老院でも可決されたものである以上ガリエヌスだけの責任ではない。しかし元老院階級を筆頭とするエリート層に武官と文官との両方を経験させることで、総合的な視野と能力を有する人材を育成するというローマの伝統的な強みまた1つ失わせる結果となった。以後ローマは「軍事もわかる政治家」「政治もわかる軍人」を産まなくなってしまう
彼はいくつかの詩も残しており、また哲学にも関心を抱き、哲学者[[プロティノス]]とも交流があった。
 
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== 参考文献 ==
{{Commons|Gallienus|ガリエヌス}}
*[[塩野七生]] 『ローマ人の物語12-迷走する帝国』[[新潮社]]、2003年、366頁。
*クリス・スカー著 『ローマ皇帝歴代誌』青柳正規監修、月村澄枝訳、1998年、300頁。
*Bray,John.Gallienus :A study in reformist and sexual politics,us,wake field ,1999,p.404.