「フィレンツェ歴史地区」の版間の差分

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コジモの孫の[[ロレンツォ・デ・メディチ]]は早くから英才教育を受け、優れた政治能力を発揮した。自身も詩人であったロレンツォは芸術家らと親しく交わり、学問・芸術を厚く保護を行い、彼の代にルネッサンスは最高潮を迎える。現在でもメディチ家の6つの球をあしらった紋章をあちらこちらで見ることができる。そののち[[サヴォナローラ]]の独裁などさまざまな政争を経て、16世紀にフィレンツェは[[トスカーナ大公国]]となる。
 
13世紀から16世紀にかけての繁栄の中で残された歴史的建造物は、いまでも大切に保存されフィレンツェ歴史地区をかたちづくっている。ロッジア・デイ・ランツィやポンテ・ヴェッキオは中世商業都市を象徴し、[[ヴェッキオ宮殿|パラッツォ・ヴェッキオ]]、シニョア広場は自治の歴史を思い起こさせる。また[[ウフィツィ美術館]]はルネッサンス芸術の宝庫、ピッティ宮は大公国時代の華麗な遺産である。[[サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂]]は、フィレンツェ全盛期の歴史をみまもってきた。地区全体が歴史遺産として登録された理由はたゆまない都市建設の偉業によってである。
 
== 主な構造物 ==