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'''フランチェスコ・チレア'''('''Francesco Cilea'''、[[1866年]][[7月
チレアは、[[1866年]][[7月
『アルルの女』や『アドリアナ・ルクヴルール』によって、[[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ|レオンカヴァッロ]]や[[マスカーニ]]らと並ぶ[[ヴェリズモ・オペラ]]の旗手となるも、趣味の変化によって初期の成功は長続きしなかった。[[1913年]]に[[ジュゼッペ・ヴェルディ]]生誕100周年を記念する合唱つき交響詩が[[ジェノヴァ]]で初演された。チレアは音楽学校の経営や教育にも尽力し、[[フィレンツェ]]と[[パレルモ]]、最後に[[ナポリ]]で教鞭を執った。1936年に公職を退く。ピアノ曲も出版し、またすぐれた室内楽曲がいくつかあるが、広くは知られていない。レッジョ・カラブリア国立音楽院は、チレアの名にちなんで命名されている。
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