「袴田里見」の版間の差分

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;終戦後 : 他の共産党員とともに釈放。以降、中央委員、政治局員、幹部会員を歴任。[[1959年]]には参議院議員選挙に立候補するが落選する。
;[[1970年]](昭和45年) : 党副委員長に就任。この間に党を代表してソ連や[[中国]]を訪問。
;[[1977年]](昭和52年) : 宮本顕治のスパイ[[査問 (日本共産党)|査問]]事件に関連して週刊誌などで党や宮本を批判し、共産党から規律違反(党外からの党攻撃)により除名処分を受ける。1978年11月に[[新潮社]]から手記暴露本「昨日の同志宮本顕治へ」を出版し、話題を呼んだ。また翌12月には「私の戦後史」を[[朝日新聞社]]で出版した。
;[[1988年]](昭和63年):袴田が居住していた共産党所有の家屋の明け渡しをめぐる訴訟([[共産党袴田事件]])で、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が袴田の上告を棄却し、敗訴が確定。
;[[1990年]](平成2年)[[5月10日]] : 死去。