「石井慧」の版間の差分

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*好きなスポーツ選手は[[朝青龍明徳|朝青龍]](強くて、[[バッシング]]を受けている部分に共感するから)で、2008年1月の場所中に実際に会いに行き、励ましてもらっている。2008年4月の全日本選手権では朝青龍が観戦にかけつけた。
*また柔道家としては[[小川直也]]を尊敬していて、高校生時代には小川からのアドバイスが欲しいがために小川がよく顔を出す[[明治大学]]の道場を訪れたりしており、そのため現在も小川とは親交がある。石井の北京五輪に向けた壮行会も[[茅ヶ崎市]]にある「小川道場」で開かれたほか、北京五輪後には「故・[[橋本真也]]の『破壊なくして創造はなし』の精神を継いでほしい」との思いから、小川から「真・破壊王」の称号を与えられた。<ref>[[東京スポーツ]]・2008年8月30日付 1面</ref>
*読書家で、戦国歴史物から[[メジャーリーグ・ベースボール|メジャーリーガー]]の[[イチロー]]や[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ千葉]]監督の[[イビチャ・オシム|オシム]]など他のスポーツ選手についての著書や発言集に至るまで幅広く読み、心構えやトレーニング方法などを柔道に取り入れる。[[上杉謙信]]を尊敬し、一番の愛読書は[[海音寺潮五郎]]の「[[天と地と]]」。好きな言葉を聞かれた時にも「天と地と」をあげたことがある。
*選考会のあった4月に、ライバルの棟田、井上のもとへ異例のアポなし出稽古にいくが、断られる。これで「自信を取り戻した」という。
*2008年4月の全日本体重別選手権に怪我で出られなくなり、五輪選考に不利になったことで、気づいたら屋上の上に立っていて死のうと思っていたという。(本人談)