「片岡仁左衛門 (7代目)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ととりん (会話 | 投稿記録)
+template:先代次代2
編集の要約なし
1行目:
七代目'''片岡仁左衛門'''(ななしちだいめ かたおか にざえもん、[[宝暦]]5年([[1755年]]) - [[天保]]8年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]([[1837年]][[4月5日]])は江戸中期から後期の歌舞伎役者。俳名は[[片岡我童|我童]]、万麿、梅里。雅号は南麗舎。屋号は松島屋。紋は丸に二引。
 
京の生まれ。[[浅尾為十郎]]門人[[1776年]]([[安永]]6年)春、二代目[[浅尾国五郎]]と名乗る。京・大阪で活躍し一時師を破門され山沢国五郎を名乗る時期もあるが着実に実力を付けて、[[1788年]]([[天明]]8年)2月大阪の嵐叶助の許可を受け、中絶していた片岡仁左衛門家を再興し、七代目を名乗る。