「大和古墳群」の版間の差分

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== 概要 ==
この古墳群を大和古墳群と呼ぶのは、古墳群の西辺に[[大和神社]]が鎮座することによる。郡中には、前方後円墳12基、前方後方墳5基、円憤7基が知られている。これらの古墳は、丘陵上の一群を中山支群、扇状地上の一群を萱生支群とに分けることができる。
大和古墳群では古墳間に余り差がなく、主墳と陪墳という関係ではない。南にある[[柳本古墳群]]は主墳と陪墳の傾向が強く、纏向古墳群は主墳と陪墳の関係で構成されているのが見て取れる。陪墳といっても強制の殉死をするわけではない。
 
大和古墳郡中最大の前方後円である[[西殿塚古墳]](にしとのづか、234メートル)は、柳本古墳群の[[行燈山古墳]](現崇神天皇陵、241メートル)や[[渋谷向山古墳]](現景行天皇陵、310メートル)に先行して築造された可能性がある。