「サンティアーゴ・デ・クーバ」の版間の差分

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[[Image:Castillo del Morro by Glogg 4.jpg|thumb|300px|right|モーロ要塞]]
 
'''サンティアーゴ・デ・クーバ'''([[スペイン語]]:''Santiago de Cuba'')は、[[キューバ]]の南東部にある[[都市]]。サンティアーゴ・デ・クーバ州の州都。[[人口]]は40万4,100人。[[カリブ海]]に面したマエストラ湾岸にある[[港湾]]都市かつ[[工業]]都市である。[[ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル|ディエゴ・ベラスケス]]によって建設された[[古都]]であるが、[[16世紀|16]]~[[17世紀]]には[[海賊]]による密貿易の拠点であった。[[18世紀]]末、[[ハイチ]]独立でハイチから亡命した[[フランス人]]が移住し、[[サトウキビ]]の栽培地域が拡大された。その影響で、市内の通りには[[スペイン]]と[[フランス]]の様式で建てられた建物が今なお現存している。[[1898年]]、この地でキューバにおける[[米西戦争]]の戦火が発生し、後のキューバ[[独立]]に寄与する結果となった。また、[[1953年]]には[[フィデル・カストロ]]率いる160名の青年兵士が、キューバ革命の端緒となるキューバ陸軍モンカダ兵営の襲撃を行なった。現在、サンティアーゴ・デ・クーバは、[[マンガン]]や[[銅]]などの[[鉱物]]と[[砂糖]]や[[タバコ]]の船積みが行なわれる港があることで知られ、[[パナマ]]国際航路の中継港になっている。また、キューバ縦断道路の東側の基点でもある。市内にオリエンテ大学がある
 
[[18世紀]]末、[[ハイチ革命]]で[[ハイチ]]から亡命した[[フランス人]]が移住し、[[サトウキビ]]の栽培地域が拡大された。その影響で、市内の通りには[[スペイン]]と[[フランス]]の様式で建てられた建物が今なお現存している。
 
[[1898年]]、この地でキューバにおける[[米西戦争]]の戦火が発生し、後のキューバ[[独立]]に寄与する結果となった。
 
また、[[1953年]]には[[フィデル・カストロ]]率いる160名の青年兵士が、キューバ革命の端緒となるキューバ陸軍モンカダ兵営の襲撃を行なった。現在、サンティアーゴ・デ・クーバは、[[マンガン]]や[[銅]]などの[[鉱物]]と[[砂糖]]や[[タバコ]]の船積みが行なわれる港があることで知られ、[[パナマ]]国際航路の中継港になっている。また、キューバ縦断道路の東側の基点でもある。市内にオリエンテ大学がある。
 
なお、市内には[[1997年]]に[[世界遺産]]に登録されたサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城がある。
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