「セフ・フェルフォーセン」の版間の差分

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2001年、[[KRCヘンク]]([[ベルギー]])にて監督を務め、リーグ優勝を成し遂げる。2006年に[[名古屋グランパスエイト]]監督に就任。<br>
[[鈴木隆行]]のゲンク時代の監督でもある。また、かつては[[祖母井秀隆]]に招聘され、ジェフユナイテッド市原(現[[ジェフユナイテッド市原・千葉]])で臨時コーチを務めた事もある[http://www.so-net.ne.jp/grampus/event/2005/1214/index.html]
 
2006年夏にはグランパスをオランダへ強化キャンプに連れて行き、オランダやベルギーの強豪チームと練習試合をさせた。それを紹介したTV番組の中で「Talking」(試合中声を出し合うこと)の重要性を説いていた。
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2007年10月に2007年をもって名古屋グランパスから退団、同時にサッカー界からも引退する事を表明した。しかし、翌月に[[ロナルド・クーマン]]を[[バレンシアCF]]に引き抜かれた[[PSVアイントホーフェン]]から監督就任のオファーが届いた。PSVは早期の合流を望み、名古屋グランパスに対し、違約金の支払いやクラブ間での業務提携などの条件を提示したが、名古屋グランパスは「天皇杯が控えてる」等の理由で固辞。フェルホーセン本人もPSVもそれに了承し、最終的には名古屋グランパスとの契約満期である天皇杯終了後にPSVの監督として就任する事になった。
このシーズンのPSVはフェルホーセンが4人目の監督であったという混乱状態だったが、フェルホーセンはうまくチームをまとめ優勝に導いた。そして、シーズン終了後に改めて監督業から引退した。
 
 
== 指導者経歴 ==
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{{先代次代|[[名古屋グランパスエイト]][[監督]]|2006 -2007 2007|[[中田仁司]]|[[ドラガン・ストイコビッチ]]}}
 
[[Category{{DEFAULTSORT:オランダのサッカー指導者|ふえるほせん せふ]]}}
[[Category:1947年生|ふえるほおせんせふオランダのサッカー指導者]]
[[Category:名古屋グランパスエイト|ふえるほおせんせふ]]
[[Category:1947年生]]
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