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'''スーズダリ'''('''{{lang|ru|Су́здаль}}''', ''Suzdal′'')は、[[ロシア]]、[[ウラジーミル州]]の[[都市]]。[[モスクワ]][[北東]]、[[ウラジーミル]]から26km、[[カメンカ川]] [[:en:Kamenka River|Kamenka River]]沿いに位置する古都である。[[2002年]]現在、[[人口]]1万3571357人。
 
スーズダリの名が歴史的、記録上初めて見られるのが[[1024年]]である。[[12世紀]]前半、[[ユーリー・ドルゴルーキー]](手長公)の時代に[[ロストフ・スーズダリ公国]]の[[首都]]となる。以後、[[14世紀]]末に[[モスクワ大公国]]の支配下に入るまで、[[ウラジーミル・スーズダリ大公国]]をはじめとする諸公国の首都として機能した。いわゆる「[[16世紀黄金の環]]から[[19世紀]]まで」を形成した。政治的重要性が喪失された後も、[[ロシア正教会|ロシア正教]][[総主教]]庁が置かれ{{要出典}}の中心の一つとして、宗教的文化的な古都として、いわゆる「[[黄金の環]]」役割形成果たした。
 
今日、スーズダリは、[[古代]]から[[中世]]期の[[教会]]、[[修道院]]などの建築を多数保有する観光都市である。市街には多数の教会建築のほかに、小川の流れと牧草地を有する小さな村や草原があり、こうした田園とスーズダリの教会建築は、絵画的な風景をもたらしている。特に夏場には、こうした風景を求めて多くの観光客や絵を描く人々が訪れる。[[ソビエト連邦|ソ連]]時代の[[1967年]][[ソ連閣僚会議]]によってスーズダリには、観光・旅行センターとしての建設が決議され、博物館都市としての都市整備が進んだ。[[1992年]]「'''ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群'''」は[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録された。
 
今日、スーズダリは、[[古代]]から[[中世]]期の[[教会]]、[[修道院]]などの建築を多数保有する観光都市である。市街には多数の教会建築のほかに、小川の流れと牧草地を有する小さな村や草原があり、こうした田園とスーズダリの教会建築は、絵画的な風景をもたらしている。特に夏場には、こうした風景を求めて多くの観光客や絵を描く人々が訪れる。[[ソビエト連邦|ソ連]]時代の[[1967年]][[ソ連閣僚会議]]によってスーズダリには、観光・旅行センターとしての建設が決議され、博物館都市としての都市整備が進んだ。[[1992年]]「'''ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群'''」は[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録された
 
[[1992年]]「'''ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群'''」は[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録された。
[[Image:Russia Suzdal Convent of the Intercession.jpg|thumb|left|500px|<center>ポクロフスキー修道院のパノラマ</center>]]
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