「蘆名盛詮」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
R463 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Point136 (会話 | 投稿記録)
m bot:導入部などのスタイル修正
1行目:
'''蘆名  盛詮'''('''あしな  もりあきら'''、[[1431年]]([[永享]]3年)-)- [[1466年]]([[文正]]元年))は、[[室町時代]]中期の[[武将]]。[[蘆名氏]]の第12代当主。第11代当主・[[蘆名盛信]]の子。[[蘆名盛高]]・[[猪苗代盛清]]の父。官位は[[遠江]]守。[[下総]]守。
 
[[1451年]]、父・盛信の死により家督を継いで当主となる。しかし家臣団の一部から盛詮の相続に不満を持つ者が現われ、これが原因となって蘆名氏内部で内乱が発生した。盛詮は[[結城直朝 (白河氏)|結城直朝]]の支援を受けて、これを鎮圧している。[[1459年]]から[[伊達持宗]]や直朝と争ったが、決着はつかなかった。しかもこのような最中の翌年、将軍・[[足利義政]]から[[古河公方]]・[[足利成氏]]追討令を発されたが、盛詮は周囲の情況から従うことができずして終わった。1466年に死去し、後を子の[[蘆名盛高]]が継いだ。