「マーカス・ガーベイ」の版間の差分

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白文鳥 (会話 | 投稿記録)
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この後、ブラック・スター・ライン社の不正会計の疑いで、郵便詐欺罪で告発される。これにはアメリカ合衆国の政治的な意図があったとも言われる。1925年にガーベイは投獄されたが、1927年11月には釈放され、そのままジャマイカへ強制送還される。
 
その後ガーベイは、1929年、ジャマイカで政党PPPを設立。労働者のためのジャマイカでの初の政党となる。1935年にはロンドンへ行き、死ぬまでの5年間を過ごす。晩年のガーベイはさらに右傾化し、[[ファシズム]]への共感を言い表し、アフリカでの積極的に取り入れるよう推奨したが、死ぬ直前には、ナチよりもイギリスとの連帯を表明した
 
1964年11月、ジャマイカ政府は、ガーベイをジャマイカの国民的英雄に選出した。