「モホーク族」の版間の差分

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[[狩猟]]をし、[[トウモロコシ]]や[[カボチャ]]や[[豆]]を耕す農耕民族で 樹皮張りの長屋に住居していたため、「ロングハウスの人々」を意味した'''ホーデノショーニー'''(Haudenosaunee)とも言われた。[[モホーク刈り]](モヒカン刈りとも呼ばれる)と呼ばれる独特の髪型をしていることでも知られている。
 
現在は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ニューヨーク州]]北部(カナダ国境近くにあるセント・レジス(Saint Regis)はモホーク族最大の[[コミュニティ]]地である)に定住し、[[オンタリオ湖]]南岸、[[カナダ]]の[[ケベック州]]及び[[オンタリオ州]]にも定住している。[[セネカ族]]、[[オノンダ族]]、[[オネイダ族]]、[[カユガ族]]、[[タスカローラ族]]の部族とは同盟を結び、共に[[イロコイ連邦]]のネーション(国家)を結成している。現在のモホーク族の人口は20世紀後半には約5,000人だった。一部では農業を営むが、他は[[ニューヨーク]]やカナダの都市部に定住しており、[[ビルディング|ビル]]建設などの工事現場や労働者として働いている事が多い。[[世界貿易センタービル]]や[[エンパイア・ステート・ビルディング|エンパイア・ステート・ビル]]や[[クライスラービル]]のビルや [[ジョージ・ワシントン・ブリッジ|ジョージ・ワシントン橋]]や[[サンフランシスコ湾]]の橋などの建設工事で働き、労働者階級を支えて来た。[[2001年]]9月11日に[[アメリカ同時多発テロ事件]]で世界貿易センタービルが崩れた時、ビルの残骸の徹去と遺体の捜査にも参加したモホーク族の者も大勢いる。
 
[[17世紀]]に[[オランダ]]人入植者と友好関係を結び、オランダ人が築いた[[ニューアムステルダム]]砦で[[毛皮]]の交易をしていた。[[フランス]]人の毛皮の商人とも交易していて、[[ヨーロッパ]]人と比較的平和に共存を保っていた。[[1630年]]には[[アルゴンキン]]諸族の敵対する部族に攻撃を仕掛け、[[ビーバー戦争|イロコイ戦争]]が起きている。オランダ人との[[ビーバー]]の毛皮と引き換えにモホーク族は[[ライフル銃]]と交換していていたので、この戦争はモホーク族の勝利だった。後にニューアムステルダムが[[イギリス]]に支配下に置かれると、モホーク族はイギリス人と同盟を結んだ。そして、[[アメリカ独立戦争]]が起きると、モホーク族の指導者、タイエンダネギーこと[[ジョセフ・ブラント]]はイギリス軍に協力した。しかしこの抵抗はアメリカの独立派が勝利し、[[1794年]]11月11日にブラントはイロコイ連邦の部族と共にカナンデグア条約に署名した事で、[[フォールン・ティンバーズの戦い]]で終わることになり、その後、現在のカナダ北部に移動し、イギリス軍の傭兵的な役割をしていた。