「仁徳天皇」の版間の差分

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==陵墓==
百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)に葬られた。名前の由来は、陵墓造営中に野から鹿が走り込んできてきて絶命。その鹿の耳の中から[[モズ]]が現れたことから地名を「百舌鳥耳原」と名づけられる(なお[[モズ]]は[[大阪府]]の鳥である)。また、この古墳の北と南にも大古墳があり(北陵は反正天皇陵、南陵は履中天皇陵)、「中陵」と名づけられている。『[[延喜式]]』諸陵寮に「百舌鳥耳原中陵。在和泉国大鳥郡。兆域東西八町。南北八町。陵戸五烟。」とあり、同陵は大阪府[[堺市]][[堺区]]大仙町の[[大仙陵古墳]]([[前方後円墳]]・全長486m、大仙古墳・大山古墳とも)に比定される。『古事記』にも「御陵は毛受(もず)の耳原にあり」、『日本書紀』には寿陵であったと記され、「(八十七年)冬十月の癸未の朔己丑に、百舌鳥野稜(もずののみささぎ)に葬(はぶ)りまつる」とあるが、学術的には[[仁徳天皇陵]]として疑問視する向きもあることから、最近では(伝)[[仁徳陵古墳]][[大仙陵古墳]]などの名称を用いるのが一般的になってきている。
 
==関連項目==