「香琳院」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
果帆 (会話 | 投稿記録)
新しいページ: ''''香琳院'''(こうりんいん)、生年不詳―文化7年(1810)は、江戸時代に生きた女性。徳川第11代将軍・[[徳川...'
(相違点なし)

2008年9月27日 (土) 05:26時点における版

香琳院(こうりんいん)、生年不詳―文化7年(1810)は、江戸時代に生きた女性。徳川第11代将軍徳川家斉の側室で、第12代将軍・徳川家慶の生母。幕臣・押田敏勝の娘とされる。名は照、お楽の方、お里衛の方。尚、名のひとつであるお楽の方という名は、第3代将軍・徳川家光の側室で第4代将軍・徳川家綱の生母・宝樹院にあやかったとされる。


略歴

天明7年(1787)に大奥に入り、最初は家斉の義妹・種姫の婚儀に従って紀伊藩の奥向きに仕えた。 大奥に復帰後に家斉の側室となり、寛政5年(1798)に家斉の次男・家慶を生んだ。次いで御年寄上座に昇進し、また将軍の生母として大奥の女中たちから畏敬されるに至る。

文化7年5月20日に病没。墓碑は谷中(東京都台東区)の徳川家墓地に現存する。