「井口小夜子」の版間の差分

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[[童謡歌手]]として[[1935年]]([[昭和]]10年)[[キングレコード]]より「ベゴニアの花」でデビュー。
 
[[1939年]](昭和14年)、[[武蔵野音楽学校]]を卒業し、レコード歌手デビュー。同年の10月発売の「[[出征兵士を送る歌]]」の吹き込みに参加。その後も、[[流行歌]]や[[軍国歌謡]]を吹き込む。一方、本名の井口とみ子の名でクラシック歌曲(ソプラノ)の舞台にも立った
 
ラジオ体操の主題歌やラジオ歌謡の数々など、NHKラジオとSPレコード全盛時代を代表し、民放テレビの開局段階まで第一線で活躍した。
 
[[1951年]]結婚を機に[[藤沢市]][[鵠沼]]に居を構え、自宅に「井口小夜子音楽研究所」を開設。また、子どもたちの音楽教室「キングさゆり会」で後進の育成に努めた。
 
[[1961年]](昭和36年)には、[[テレビ朝日|NET]]放送のドラマ「[[新諸国物語 紅孔雀]]」主題歌、「紅孔雀の歌」を歌いヒットさせている。
 
一方、(財)藤沢市芸術文化振興財団の評議員として、地元の芸術文化の振興にも終生貢献した。
 
2003年(平成15年)11月9日、[[急性心不全]]で死去。享年89。
 
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[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:日本の歌手]]