「エルネスト・ギロー」の版間の差分

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[[1876年]]にパリ音楽院の教授に就任し、[[クロード・ドビュッシー]]や[[ポール・デュカス]]などを指導した。
 
[[ジョルジュ・ビゼー]]と親交があり、ビゼーの死後『[[アルルの女]]』第2組曲を編曲したのはギローである。他に[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]の最後未完作品[[オペラ]]『[[ホフマン物語]]』の補筆完成で知られるが、自身の作品は今日ではほとんど知られていない。
 
[[1892年]]、[[パリ]]にして死去。
* {{IMSLP|id=Guiraud, Ernest}}
 
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[[Category:1837年生|きろ えるねすとフランスの作曲家]]
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[[de:Ernest Guiraud]]
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