「クニグンデ・フォン・エスターライヒ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Sevela.p (会話 | 投稿記録)
+Commonscat
編集の要約なし
4行目:
[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]と皇后[[エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル|エレオノーレ]]の娘として、[[ウィーナー・ノイシュタット]]で生まれた。夫婦の間の5人の子供うち成人したのは、兄[[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]とクニグンデだけであった。
 
1470年、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[マーチャーシュ・コルヴィヌス1世|マーチャーシュ]]に求婚されたが、父フリードリヒはこれを拒絶した。クニグンデは父の意に反してバイエルン公アルブレヒトと結婚した。夫の死後、長男[[ヴィルヘルム4世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム4世]]の摂政となった。宮廷から辞してのちも、息子たちのために政治に介入しようとした。また、兄マクシミリアンや、他国にいる縁者と密接に連絡をとっていた。
 
アルブレヒトの死後1508年、クニグンデはピュートリヒ修道院に入り、修道女となった。
 
==子女==
19行目:
*[[ズザンナ・フォン・バイエルン|ズザンナ]](1502年 - 1543年) [[バイロイト侯領|ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯]][[カジミール (ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯)|カジミール]]の妃。のち[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]][[オットー・ハインリヒ (プファルツ選帝侯)|オットー・ハインリヒ]]と再婚。
 
[[Category{{DEFAULTSORT:ハプスブルク家|くにくんて]]}}
[[Category:バイエハプスブンの后妃|くにくんてク家]]
[[Category:1465年生|くにくんてバイエルンの后妃]]
[[Category:15201465没|くにくんて]]
[[Category:1520年没]]
 
[[cs:Kunhuta Rakouská]]