「悲喜劇」の版間の差分

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===イングランド===
イングランドでは実作が理論に先行し、状況はまったく異なっていた。16世紀、「悲喜劇」はイングランド生まれのある種のロマンス的な劇を意味した。それらの特徴は、[[フィリップ・シドニー]]が『詩の弁護』の中で「mungrell (mongrel)tragicomedies(雑種悲喜劇)」と痛切に批判した、[[三一致の法則]]の無視、上流階級と下層階級の登場人物のでたらめな混在、奇想天外な筋、などである。シェイクスピア『[[ハムレット]]』のポローニアス([[:en:Polonius|Polonius]])の台詞にもそれは出てくる<ref>シェイクスピア『ハムレット』第2幕第2場のポローニアス の台詞The best actors in the world, either for tragedy, comedy, history, pastoral, pastoral-comical, historical-pastoral, tragical-historical, tragical-comical-historical-pastoral, scene individable, or poem unlimited: Seneca cannot be too heavy, nor Plautus too light. For the law of writ and the liberty, these are the only men.彼等こそは天(あめ)が下の名優でござる、悲劇にもよく、喜劇にも宜しく、歴史物、山場(まきば)物、山場がかりの喜劇、歴史がかりの山場がかり、乃至は悲劇仕立ての歴史物、悲劇仕立ての喜劇混りの歴史がかりの山場がかりにもよろしうござれば、場面を変へぬ作にも、制限(しきり)の無い作にもよろしい。セネカとても重過ぎませず、プロータスとても軽過ぎませぬ。定型(かた)物まれ、即興物まれ、類無しの伎倆者(うできゝ)でござりまする[[坪内逍遥]]・訳。</ref>。こうしたロマンス的な劇のいくつかの要素は、後のより洗練されたシェイクスピア作品にも残っていて、シェイクスピア後期の戯曲はしばしば[[ロマンス劇]]と呼ばれた(悲喜劇とも呼べるかもしれない)。
 
[[イングランド]]における[[ステュアート朝]]初期までには、何人かのイングランド劇作家たちがグァリーニ論争から得た教訓を自家籠中のものとし、グァリーニの翻案である[[ジョン・フレッチャー (劇作家)|ジョン・フレッチャー]]([[:en:John Fletcher (playwright)|John Fletcher]])の『忠実な女羊飼い』が[[1608年]]に上演された。出版された本の中で、フレッチャーは「悲喜劇」を以下のように定義した。「悲喜劇とは浮かれ騒ぎや殺しがあるからそう呼ばれるのではない。悲劇には足りない死、やはり喜劇には足りないそれに似たものからそう呼ばれるのである」。戯曲のジャンルは、劇中で人が死ぬか否か、そして本筋がどのように死に至るかの二次的方法において決定されていたので、フレッチャーは事件に焦点を当てた定義をした。Eugene Waithは、以後10年間でフレッチャーが発展させた悲喜劇は様式として定着したと指摘する。それは、突然の予期せぬ新事実の発見、常軌を逸した筋、離れた場所、複雑で作為的な修辞への頑なな関心などである。