「シルヴァン・グラニエ」の版間の差分

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[[OVW]]で活動し、[[2003年]][[3月]]に行われた[[ハルク・ホーガン]]と[[ザ・ロック (プロレスラー)|ザ・ロック]]との試合のレフェリーとして登場する。[[ビンス・マクマホン]]の指示でロックをハメる悪徳レフェリーであった。[[レッスルマニア|レッスルマニア19]]のホーガンvsマクマホン戦にも、レフェリー不在になった時に出てきて裁いたが、ホーガンに打ちのめされる。
 
その後しばらくして、同じくOVWで一緒だった[[レネ・デュプリー]]と反米思想[[フランス]]ユニット、[[ラ・レジスタンス]]を結成。イラク戦争へのアメリカ批判を行い、参加しなかったフランスを賞賛する。リング上で[[スコット・スタイナー]]らと激論し、試合の方でも[[WWE・世界タッグチーム王座|世界タッグ王座]]を獲得するなど活躍する。その後、[[ロブ・コンウェイ]]もレジスタンスに加わり、アメリカ人からものすごい大ブーイングを浴びる大ヒールに君臨。
 
[[2004年]][[3月]]に行われたドラフトにて、デュプリーが[[スマックダウン]]に移籍するが、レジスタンスは解散せずコンウェイとのタッグで活動。こちらでも3度のタッグ王座に輝く活躍をみせる。しかしWWEの方針からタッグに力を入れてもらえず、前座番組のHEATでの試合が多くなる。そして[[2005年]]のドラフトでは、シルヴァン自らスマックダウンの移籍に伴い、ついにレジスタンスは解散した。
 
スマックダウンに移籍してから、リングネームを'''シルヴァン'''のみし、男前の嫌味なモデルのギミックとして活動。毎回登場時にはサクラと思われる女性陣の黄色い声援が飛んでいた。しかし大した活躍はできず、しばらくフェードアウト。その後、地元ケベックの親善大使ギミックとして登場するも、こちらも長続きしなかった。
 
OVWに送り返されていたが、[[2007年]][[2月]]にECWに登場。当時のパートナーデュプリーとラ・レジスタンスの再結成をするはずであったが、デュプリーの薬物違反により登場できなくなる。現在もまだはっきりとしたアングルが出されていない状態である。
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== その他 ==
*プロレスラーになる以前に[[モデル (職業)|モデル]]として活動していた時期があったため、スマックダウン移籍後モデルギミックを始めていた。