メインメニューを開く

差分

終戦とともに労働組合再結成に動き、[[1946年]][[8月]][[日本労働組合総同盟]]が結成され、会長に就任する。また同年の[[第22回衆議院議員総選挙]]に[[日本社会党]]公認で旧東京2区から出馬し当選。以後当選6回。[[1947年]]衆議院議長に就任。初の[[無産政党]]出身の議長であり、新時代の到来を強く印象付けた。
 
1958年8月14日、肝臓病のため逝去。享年70
 
松岡は争議にあたっては資本家・経営陣側の立場も考慮し、時には労働者側に不利な条件で妥結することもあった。そのため、反対派からは「ダラ幹(「堕落した幹部」の意味)」呼ばわりもされたが、個人的にはおよそ腐敗とは縁遠く、特に金銭の取り扱いについては極めて厳格であったという。首尾一貫、左右いずれの観念的な思想に与することなく、現実主義・漸進主義を貫いた人生であった。
230,256

回編集