「エーリク7世 (デンマーク王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
4行目:
エーリクは[[ポモージェ|ポンメルン]]公ヴラティスラフ7世とマリアの息子ボギスラフ(Bogislav)として生まれた。マリアはデンマーク国王[[ヴァルデマー4世 (デンマーク王)|ヴァルデマー4世]]の娘でマルグレーテの姉インゲボーと、スウェーデン国王[[マグヌス3世 (スウェーデン王)|マグヌス3世(または1世)]]の曾孫メクレンブルク公ハインリヒ1世の娘であった。
 
エーリクは[[1395年]]に父親の死去によって、エーリヒ1世(Erich I)として[[ポンメルン]]公位も継承している。
 
エーリクは大叔母マルグレーテの[[摂政]]を受け、成人後も[[1412年]]まで実質的に共同統治者であった。1406年、[[イングランド]]王[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の王女[[フィリッパ・オブ・イングランド|フィリッパ]]と結婚。デンマーク・ノルウェー・スウェーデンは、対等の連合国家であったが、実態はデンマークを盟主にした[[同君連合]]でもあった。彼は[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国|シュレースヴィヒ・ホルシュタイン]]の併合を目指したが、結局失敗に終わった。このため財政難を引き起こし、エーリクはこの穴埋めにノルウェー・スウェーデンに重税を課し立て直しを図ったが、両国は反発し不満がくすぶり始めるのである。