「松本幸四郎 (5代目)」の版間の差分

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はじめ立役を演じていたが実悪に転じた。鋭い目つきと高い鼻が凄みを与え、[[東洲斎写楽]]・[[歌川豊国|初代歌川豊国]]・[[歌川国貞|三代目歌川豊国]]の芝居絵にもその芸風が窺われる。実悪では三都随一、古今無類と最大級の賛辞を受けた。彼が舞台で見得をするとあまりの怖さに子供が泣出したと言われている。1805 (文化2)年11月市村座『けいせい吉野鐘』では評判記「役者大極丸」に「年若なれどもお江戸の大立者、実事実悪とも兼備たるお上手故めったにのぼす事ではないわいの」と書かれている。
 
当り役は『[[菅原伝授手習鑑]]寺子屋』の松王、『[[仮名手本忠臣蔵]]』の高師直、『[[義経千本桜]]』の権太。とくに『伽羅先代萩』の仁木弾正は生涯の当り役とされ、現行の舞台でも、左眉尻の黒子に、三つ銀杏と[[:Image:Yotsubishi inverted.svg|四つ花菱]]様が衣装に用いられ幸四郎に敬意を表している。また『菅原伝授手習鑑・車引』の松王の横向きの見得は鼻が高かった幸四郎の特徴を活かして編み出されたものである。
 
新作では四代目[[鶴屋南北]]と組み、時代物では『馬盥』の武智光秀のような謀反人、世話物では『[[四谷怪談]]』の直助権兵衛、『謎帯一寸徳兵衛』の大島團七などの悪役を演じた。いずれも冷酷な役どころで、とくに世話物では庶民の生々しい姿を写実的に演じ新しい芸風を確立。その後の歌舞伎に大きな影響を与えた。