「細川藤賢」の版間の差分

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[[足利義輝]]に仕える。義輝が[[松永久秀]]に殺害されると([[永禄の変]])、久秀に降伏。
 
その後[[足利義昭]]が[[織田信長]]に擁立されて将軍となると、京都に戻り[[足利義昭の下]]付い仕えた。[[京]]に義昭の居城[[二条城]]を作る際は藤賢の屋敷の庭にあった「藤戸石」という石が使われた。この石を運ぶ作業の指揮は信長自らが行った。
 
1573年に義昭が信長への兵を挙げようとした際には、藤賢はこれを諌めた。だが聞き入れられず、義昭は挙兵。藤賢もこれに従う。その後即座に織田軍に城を包囲され、降伏。義昭は京より追放されたが、藤賢は信長に許されて、近江[[坂本城]]の守備を任された。