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== 歴史 ==
=== 黎明期 ===
1980年代、アメリカの[[シカゴ]]では[[ハウス (音楽)|ハウス・ミュージック]]([[シカゴ・ハウス]])と呼ばれる実験的なスタイルを持つダンスミュージックが隆盛を極め黒人少年たちとゲイ・コミュニティや黒人少年たちを熱狂させていた。それは当時手に入りやすくなってきた音楽機材を使い従来のディスコミュージックの規則的に打ち鳴らされるキック・ドラムを強調し、その上でDJが二台のターンテーブルを使ってソウルやファンクなどの黒人音楽を基にしつつも様々な音楽をつなぎ即興で混ぜ合わせ、より長くより激しく客を踊らせるというものだった。
 
1980年代中頃、シカゴに隣接する都市であり、同じく黒人音楽の伝統を持つ[[デトロイト]]でもシカゴとデトロイトを行き来する人々によりこの[[シカゴ・ハウス]]が持ち込まれ、新しい音楽の運動が生まれてくる。その音楽成立に関わった主なアーティストとしては[[ホアン・アトキンス]]、[[デリック・メイ]]、[[ケヴィン・サンダーソン]]らの、いわゆる「ビルヴィレ・スリー」(三人の出会った場所が地元デトロイトのビルヴィレ地区であったため名づけられた)が挙げられる。
 
彼らの音楽は[[シカゴ・ハウス]]の影響を受けつつも、享楽的な[[ハウス (音楽)|ハウス・ミュージック]]に対し厳しい現実を反映したシリアスな音楽を志向し、その活動の上でより政治的・思索的な側面も打ち出していた。特にテクノの第一人者である[[ホアン・アトキンス]]はその時すでに[[エレクトロ]]のユニットの活動を通して一定の名声を得ており、テクノの中においても[[エレクトロ]]の根底に流れる[[電子音楽]]や[[ファンク]]のベースラインを、思想としては黒人特有のSF・未来志向を強調していた。