「パンアメリカン航空202便墜落事故」の版間の差分

202便が墜落した地点は予定された航路下であったが、現地の地形は複雑であり、附近の川も小さかったため、[[飛行艇]]による搬出も不可能であった(当時は現在ほど[[ヘリコプター]]が発達していなかったため)。またアメリカ軍による[[落下傘]]部隊投入も、生存者がいないことや地形のため、機体や遺体の搬出は難しいとして断念された。そのため、調査隊を陸路派遣することになった。
 
事故調査団が40マイル(約60km)まで飛行艇で向かい、そこから陸路で墜落現場に到着したのは[[5月16日]]であった。しかしこの調査隊は途中で7名以外は引き返した上、水や食料が欠乏し人手不足のため撤退を余儀なくされた。そのため、最初の調査団は、搭乗者全員が死亡していたこと、そして202便の残骸は、おそらく原住民によって衛生のために火をつけたと見られる火事で胴体が焼失したことを確認しただけであった。
 
大幅に人員と装備を増強した第二次調査団が墜落現場に入ったのは事故から4か月経った[[8月15日]]であった。そこで202便の残骸が大きく3つに分かれて墜落していることを発見した。第二エンジン附近の主翼、反対側の左翼主翼、胴体に分かれていた。なお第二エンジンとプロペラは発見されなかったが、そのことが最初に機体から脱落した証拠とされた。
 
== 事故原因 ==
匿名利用者