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劉玄が皇帝([[更始帝]])となり[[王莽]]を降した頃、信都郡の令となった。
[[更始 (漢)|更始]]2年([[24年]])、薊縣から逃れてきた劉秀を信都太守の[[任光]]・都尉の[[李忠 (漢)|李忠]]とともに迎え入れた。偏将軍を拝命し、造義侯に封ぜられた。[[王郎]]の本拠・[[邯鄲市|邯鄲]]を破ると右将軍に任ぜられ、河北平定に功あった。
[[建武 (漢)|建武]]1年([[25年]])、[[大司馬]][[呉漢]]に率いられた十一将の一人として、更始帝配下の朱鮪の守る洛陽を囲む<ref><small>[[後漢書]]の[[岑彭]]伝より</small></ref>。
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