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'''趙飛燕'''(ちょうひえん、生年不詳 - [[紀元前1年]])は[[前漢]][[成帝 (漢)|成帝]]の皇后。元名を'''宜主'''と称した。
 
正史である『[[漢書]]』での趙飛燕に関する記述は非常に簡単なものであるが、稗史においては美貌を以って記述されており、優れた容姿を表現する'''環肥燕瘦'''の'''燕痩'''が示すのが趙飛燕である(環とは[[楊貴妃]]の事、幼名・玉環による)。
 
その出生は卑賤であり、幼少時に[[長安]]にたどり着き、号を飛燕とし歌舞の研鑽を積み、その美貌が成帝の目にとまり後宮に迎えられた。後宮では成帝の寵愛を受け、更に妹の[[趙合徳]]を[[昭儀]]として入宮されることも実現している。成帝は趙飛燕を皇后とすることを計画する。太后の強い反対を受けるが[[紀元前18年|前18年]][[12月 (旧暦)|12月]]に許皇后を廃立し、[[紀元前16年|前16年]]に遂に立皇后が実現した。