「墨俣川の戦い」の版間の差分
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|commander1=[[源行家]]
|commander2=[[平重衡]]
|strength1=30,000騎(平家物語)
|strength2=6,000騎(平家物語)<br />5,000余騎(玉葉)
|casualties1=首級390名([[
|casualties2=不明
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== 経過 ==
平氏
行家はその後、熱田に篭ったがそこも打ち破られて[[三河国|三河]]の[[矢作川]]まで撤退したが、平氏軍はさらに追撃した。しかし、東から源氏の大軍がくるという噂が流れたため、平氏はそれ以上進撃せずに撤退した。
合戦の結果は行家率いる源氏軍の大敗北であり、敗因としては行家と義円で先陣を争った指揮系統の乱れ、また源氏方が低湿地を背後にして戦ったため機敏な退却ができなかった事などが損害を多くした原因と考えられる。行家は矢作川を突破されたのち行方をくらませた。
平氏があくまで都を中心とした専守防衛体制を堅持した事により、平氏の[[西国]]支配、[[源氏]]の[[東国]]支配、[[奥州藤原氏]]の東北支配という勢力分布が一層明確なものとなった。
== 関連項目 ==
*[[日本の合戦一覧]]
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