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{{SD|初版執筆者による}}
'''常呂遺跡'''(ところいせき)は、[[北海道]][[北見市]](旧[[常呂郡]][[常呂町]])にある[[擦文文化]]期および[[オホーツク文化]]期の[[遺跡]]。国の[[史跡]]に指定されている。
== 概要 ==
[[オホーツク海]]をのぞむ海岸に沿って[[常呂川]]の河口から[[サロマ湖]]西岸へと続く幅約300メートル、長さ約2.7キロメートルの砂丘上に立地し、2,000基以上の[[竪穴住居]]跡および墳墓と推定される多数の小形の竪穴状遺構が検出された。
擦文文化の集落遺跡としては北海道最大規模を有し、オホーツク文化期の住居跡も発見されており、特異な存在となっている。両文化の移行の問題を検討するうえでも重要な遺跡である。
[[東北地方]]北部から北海道にかけての各遺跡では、しばしば竪穴が埋没しきらず地上に大小の凹みを残存させている場合がみられるが、常呂遺跡の竪穴群はそのなかでも最大級の規模と[[密度]]を有する例として知られている。
== 史跡指定 ==
[[1974年]]([[昭和]]49年)[[3月12日]]、国の史跡に指定され、遺跡の保存と整備が進められた。
== 周辺情報 ==
周辺は「ところ遺跡の森」として整備されており、附近には[[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]]からアイヌ文化のものまで数多くの遺跡が散在している。ワッカネイチャーセンターへも近い。
== 関連項目 ==
* [[擦文文化]]
* [[北海道・東北の史跡一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.city.kitami.lg.jp/tok_guide04/guide04.htm 北見市による紹介]
* [http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp 国指定文化財等データベース]
{{DEFAULTSORT:ところいせき}}
[[Category:擦文文化]]
[[Category:オホーツク文化]]
[[Category:北見市]]
[[Category:北海道にある国指定の史跡]]