「アンドレ・ドラン」の版間の差分

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''バレエ・リュス''への関連付け
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1905年末から1906年初めにかけて、画商ヴォラールの勧めでロンドンに滞在し、テムズ川沿いの風景を描く。1907年からは[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]など「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)の画家たちとも交流するようになる。
 
1919年に[[バレエ・リュス]](ディアギレフ主宰)の「風変わりな店」の美術と衣装を手掛けたのを最初として、晩年までバレエやオペラの衣装や舞台装飾も手掛けた。また、挿絵、彫刻なども手掛けている。<br>
1921年のイタリア旅行を期に作風はアカデミックなものに回帰し、古典的な陰影や遠近法、落ち着いた色彩で静物、人物等を描くようになった。1935年、シャンブルシーに移住し、以降の晩年は、バルテュスらごく少数の友人以外との接触を避け、孤独のうちに制作を続けた。