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[[Image:Elbe.jpeg|thumb|デルベの肖像]]
'''モーリスジョゼフルイ・ジゴ・ド・エルベ'''('''Maurice-(Maurice Joseph- Louis Gigot d'Elbée'''、[[1752年]][[3月21日]] - [[1794年]][[1月6日]]) は、[[フランス革命]]期の政治家。反革命反乱である[[ヴァンデの反乱]]に参加し、[[カトリック王党軍]]最高司令官の座に就いた人物。
 
貴族特有の長い名前を略し、'''ルイ・ド・エルベ'''、'''モーリス・ド・エルベ'''とも呼ばれる。<br>なおフランス語の発音に忠実に従うと“'''デルベ'''(d'Elbée)”であり、“ド・エルベ(de Elbée)”とは読まない。
 
==生涯==
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しかし一方で、新人事に不満を持ったシャレットらの離反を招く結果ともなってしまう。ヴァンデの反乱における最大の激戦・[[ショレの決戦]]では、一時は共和国軍を街に追い込むなど善戦したが、その結果[[市街戦]]に突入し、戦線は混乱。さらには共和国軍に不意をつかれ、大打撃を受ける。その後自身も重傷を負い、王党軍に退却を命じた。戦いの後、カトリック王党軍は敵の追撃をかわすべく[[ロワール川]]を北上するが、デルベはこの途中に療養のために戦線を離脱する。やがて[[:en:Noirmoutier-en-l'Île|Noirmoutier-en-l'Île]]で共和国軍に捕らえられ、[[1月6日]]に[[銃殺刑]]に処せられた。
 
== 関連項目 ==
*[[フランス革命群像]]
 
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[[Category:1752年生]]
[[Category:1794年没]]
 
<!--他言語版-->
 
[[en:Louis d'Elbée]]