「中村歌右衛門 (4代目)」の版間の差分

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四代目'''中村 歌右衛門'''(なかむら うたえもん、[[1798年]]([[寛政]]10年) - [[1852年]]([[嘉永]]5年)[[2月15日]])は[[幕末]]に活躍した[[歌舞伎]]役者。本名、平野 吉太郎。俳名:芝賞、[[中村翫雀|翫雀]]。屋号:成駒屋。別号:魁香舎。通称:「翫雀歌右衛門」。[[中村歌右衛門 (3代目)|三代目歌右衛門]]の養子。
 
[[江戸]][[下谷]]の[[茶屋]]の子で[[1807年]]に[[藤間流]]振付け師[[藤間勘十郎 (初代)|初代藤間勘十郎]]の門下で、藤間亀三郎と名乗る、[[1808年]]に江戸に下っていた[[中村歌右衛門 (3代目)|三代目中村歌右衛門]]の門下に入り中村藤太郎と改名。[[1813年]]3月に[[中村鶴助]]と改名。[[1825年]]に三代目歌右衛門の俳名の[[中村芝翫|芝翫]]を二代目として襲名し人気を得る。[[1836年]]1月に四代目[[中村歌右衛門]]を襲名。
 
当り役は多く『一谷嫩軍記』の熊谷・『六歌仙』『[[京鹿子娘道成寺]]』等。体格、容貌に恵まれ、世話物より時代物を得意といた、所作事も優れた。