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[[Image:Marie-George Buffet2005.jpg|250px|right|thumb|ブュフェ下院議員 [[2005]]]]
'''マリー・ジョルジュ・ビュフェ'''('''ビュッフェ'''、'''Marie-George Buffet'''、[[1949年]][[5月7日]] - )は、[[フランス]]の[[政治家]]。[[フランス共産党]]全国書記([[書記長]]、[[党首]]に相当)。[[パリ]]郊外の[[オー=ド=セーヌ県]]ソー [[w:en:Sceaux, Hauts-de-Seine|Sceaux]]出身。
 
[[1969年]]共産党に入党。[[1997年]][[フランス社会党]]の[[リオネル・ジョスパン]]内閣が成立すると、共産党は[[緑の党 (フランス)|緑の党]]とともに[[連立内閣]]を構成し、ビュフェは、青年・スポーツ相として入閣した。[[2001年]]党全国書記に選出される。[[2002年]]前全国書記であったロベール・ユーは[[2002年フランス大統領選挙|同年の大統領選挙]]で96万757票(3.37パーセント)しか獲得できず、候補者16人中11位と惨敗を喫し、左翼政党の中でも下位となった。こうしてビュフェには結党以来最悪ともいえる党勢の挽回が託された。
 
ビュフェはフランス共産党の党首として[[テレビ]]や[[新聞]]など各種メディアに多く露出するように心がけ、共産党のイメージ向上に努めた。[[2002年]]6月[[下院]][[国民議会 (フランス)|国民議会]]総選挙で[[セーヌ=サン=ドニ県]]から立候補し当選する。[[2005年]][[欧州憲法]]批准問題では反対した。