「サイエンス・フィクション」の版間の差分

この1970年代の後半から80年代にかけては、日本のSFファンの間において「'''SFマインド'''」という概念が多用された時代でもある。
 
この概念はやや抽象的なもので人によって解釈が少しずつ異なり、SFファンが10人いれば10通りの解釈が出てくるほどのものではあるが、概ね共通しているのは、多少の[[オーバーテクノロジー]]的描写は容認しつつも、正確な[[SF考証]]、[[科学]][[理論]]や[[物理法則]]、[[自然科学]]を最重視し、ストーリーや映像描写が厳密にこれに従う則って展開される事を歓迎し、逆にドラマ上の演出や撮影技術面の都合などによる理論・法則の無視・軽視、非科学的なメカのデザイン<ref>言い換えれば、SF理論に対する知識の不足や、作品に出資した[[スポンサー]]などの意向による、玩具的なメカデザインである。</ref>、あるいは(SFに精通したものにとって)勘違いな描写<ref>これらの例としては、宇宙空間を[[水泳]]の要領で泳ぐ、宇宙空間で見ている星がまたたく、必要な装備を持たない大型ロボットが[[大気圏]]突入を実行して無事に着陸する、など。</ref>や、他にも相対的に見て絶対的な存在<ref>端的に言えば[[神]]や[[超古代文明]]、『ガンダム』における[[ニュータイプ]]の様な存在である。</ref>が物語世界の中心でストーリー全体を左右する事を、徹底的に嫌忌・否定する姿勢である。
 
この概念はそれまではかなり曖昧で、現在でいう異世界ファンタジーなどすら含む事も見られたSFというジャンルの固定化・細分化には役に立ったという方で面があるものの、多くのSF作品が「SFマインドにあふれているか否か」という事で議論の俎上に上げられ、SFファンの間で大真面目に議論がなされ、「SFマインドが足りない」という理由で物語性が否定されたり、作品や作者が誹謗[[中傷]]を受けるという事態も少なからず発生した。また、SFマインドという言葉自体も抽象的なもので、やがては概念自体が一人歩きする様になり、この概念自体を巡っての肯定否定の議論も多く発生した。また、SF作品でデビューした作家やクリエイターの中にも、この様な議論に巻き込まれる事を嫌ったかの様に、徐々にSFから距離を置いていった者が見られる。
 
だが、SFマインド肯定派にとっては皮肉なことに、その代表格の1人と見なされていた高千穂遥が「SFとは言えない」と[[アニメ雑誌]]の誌上<ref>『ガンダム雑記』[[月刊OUT]] 1980年4月号</ref>などで徹底的に否定・非難こき下ろした『[[機動戦士ガンダム]]』が日本アニメ史に残る商業的な大成功を収める。この作品が及ぼした影響は大きく、以降、アニメ産業には「[[リアルロボット]]アニメ」というSFマインド肯定派にとっては容認できない「似非SF」的なジャンルがし、1980年代に入るとこのフォーマットに基づいた作品が大量に製作されてゆく事になる。その一方で、SFマインド肯定派の者たちが支持する様な「SFマインドにあふれたハードSF作品」からは『ガンダム』ほどの成功と言える作品が漫画・アニメなどでも出なかった上<ref>その中では、ハードSF自体がテレビアニメのスポンサーとなる玩具メーカーなどに敬遠されたという事情も窺い知れる。よく知られる例としては『[[超時空要塞マクロス#企画・放映の経緯|超時空要塞マクロス]]』を参照のこと。</ref>、SF雑誌・[[アニメ雑誌]]・映画雑誌などの読者欄やコラムなどで、SFファンの読者やライターによる激しい議論や、相互を貶める中傷ばかりが繰り返され目立った事で、やがてはSF自体が一般大衆にはとっつきにくいイメージを抱かれてしまい、後にSFジャンル全体が停滞、後述する転換期に突入してゆく一因にもなった。
 
なお、この当時の議論を知らぬ現在の若いSFファンには、SFマインドという言葉持つ本来の意味を知らない者がもはや珍しくはなく、「なんだかSFっぽい」という程度の意味で使用している者も見られる。
 
=== SFの転換期 ===
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