「マット・バスビー」の版間の差分

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;悲願達成
[[Image:Sir_Matt_Busby_Statue.jpg|thumb|[[オールド・トラフォード]]正面玄関に建つマット・バスビーの銅像]]
一時はフットボールへの情熱を失ったバスビーだったが、夫人らの説得もあり翌シーズンから現場に復帰。同じく事故のショックから立ち直ったボビー・チャールトンをチームの柱に据え、クラブの建て直しに着手した。

[[1960年代]]に入ると、[[ジョージ・ベスト]]や[[デニス・ロー]]といった才能が次々に頭角を現し、[[1963年]]の[[FAカップ]]優勝、[[1965年]]と[[1967年]]には国内リーグも制した。そして迎えた[[1968年]][[5月29日]]、[[ロンドン]]の[[ウェンブリー・スタジアム]]で行われたチャンピオンズカップ決勝戦 ([[:en:1968 European Cup Final|1968 European Cup Final]]) において、[[ベンフィカ]]([[ポルトガル]])を 4 - 1 で破り、10年前道半ばで潰えた悲願を達成した。マンUが挙げた4点の中には、主将ボビー・チャールトンの2得点が含まれている。同年、チャンピオンズカップ優勝の功績を称えられ、バスビーに[[ナイト]]の称号が与えられた。
 
;勇退、その後
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[[1994年]][[1月20日]]、[[癌]]のため死去。84歳だった。
 
[[1999年]]、[[スペイン]][[バルセロナ]]の[[カンプ・ノウ]]で行われた[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝戦 ([[:en:1999 UEFA Champions League Final|1999 UEFA Champions League Final]]) にて、マンチェスター・ユナイテッドは[[バイエルン・ミュンヘン]]を劇的な逆転勝利で下し、[[1968年]]以来クラブ史上2度目となる栄冠を勝ち取った([[カンプ・ノウの奇跡]]の項を参照)。

決勝戦が行われた[[5月26日]]という日付は、バスビーの90回目の誕生日であった。この奇妙な一致について、マンUチェスターユナイテッド監督であり、またバスビーと同じく[[サッカースコットランド代表]]監督を務めたこともある[[アレックス・ファーガソン]]は「きっと彼が味方してくれたのだろう」とコメントした。
 
マンチェスター・ユナイテッドのホームスタジアム、[[オールド・トラフォード]]の現在の住所は "Sir Matt Busby Way" と呼ばれている。スタジアム正面玄関には左手にボールを抱えたバスビーの像が鎮座し、スタジアムにやってくる人々を出迎えている。