「池田政応」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
新しいページ: ''''池田 政応'''(いけだ まさたか、延宝4年(1676年) - 享保10年6月27日1725年))は、[[江戸...'
 
編集の要約なし
1行目:
'''池田 政応'''(いけだ まさたか、[[延宝]]4年([[1676年]]) - [[享保]]10年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]([[1725年]]))は、[[江戸時代]]の[[旗本]]。[[池田友政]]の長男。母は[[安部信秀]]の娘。子に[[池田豊常]]、娘([[池田政胤]]の妻)がいる。
 
延宝4年(1676年)、池田友政の長男として生まれる。[[元禄]]16年([[1703年]])[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]、中奥番士となる。[[宝永]]元年([[1704年]])[[12月2日 (旧暦)|12月2日]]、遺領を継ぐ。この時、弟・[[池田政長 (旗本)|池田政長]]に三百石を分与したため、所領は九百石となった。同4年([[1707年]])[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]、御徒頭となり、さらに、同6年([[1709年]])[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]、[[小姓組]]の組頭となった。享保10年(1725年)6月27日、死去。50歳。後を、子の[[池田豊常]]が継いだ