「佐保田鶴治」の版間の差分

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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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== その人物 ==
62でヨーガに出会うまでは、肺結核、神経痛等さまざまな病に苦しめられた半生であった。しかし、クリヤン(インド舞踊をする留学生)から、20程の体操を習い、しばらく続けたところ、「これはえらいこっちゃ」と声に出して感嘆するほど身体の変化を感じたという。それまでありとあらゆる健康法をしたが役に立たず、病に苦しめられた半生があったからこそ、その良さがダイレクトに体得されたのであろう。大学教授時代の佐保田は、苦虫をかみつぶしたような表情が多かったとの学生評が残っているが、62以降は、弾ける様な満面の笑みを浮かべた写真が数多く残っている。最晩年まで強健(最高度の健康)であり、身体もしなやかであり、逝去5日前まで講義もされた。逝去する朝、自宅で倒れた。家人が「医者を呼びましょうか」と佐保田に問いかけると、「その必要はない」と言い、静かに息をひきとったと言う。身体知が極度に高まった人の直観である。「学を好み道を求める模範」と評された最期まで言行一致の人であった。
[[ヨーガ]]の教師を[[グル]]と言う。グルとは魂の教師であり、弟子にとってはその人生の全てを捧げる極めて強い峻烈な関係である。佐保田は日本のグルと紹介されることもあるが、彼自身は「私はグルではない」と明言している(典拠『ヨーガ禅道話』)。また、「佐保田ヨーガ」という表現も否定している。しかし、その哲学、教え、体操を熱心に受け継ぐものは、没後20数年を過ぎた現在でも全国に多く居て、優秀な教師として活躍している。愛弟子には、サーンキヤ哲学で著名な[[山口恵照]][[博士]]がいる。