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ハイスクール時代は、[[アマチュアレスリング|アマレス]]と[[アメリカンフットボール|アメフト]]の選手として活躍。[[ミネソタ大学]]([[w:University of Minnesota|University of Minnesota]])に進学後、[[全米大学体育協会|NCAA]]のアマレス王座を二度獲得。[[1948年]]にはフリースタイルの[[ロンドンオリンピック (1948年)|ロンドンオリンピック]]代表に選ばれた。フットボール選手としても高く評価され、短期間だが[[NFL]]の[[グリーンベイ・パッカーズ]]所属の選手として活動した。
 
万能スポーツ選手としての華々しい実績から、[[NWA (プロレス)|NWA]][[ミネアポリス]]地区のプロモーターにスカウトされ鳴り物入りで[[1949年]]に[[プロレス]]デビュー。[[NWA世界ジュニアヘビー級王座]]、初代USヘビー級王座を獲得するなど活躍し、[[ルー・テーズ]]などと並ぶメインイベンターとなる。しかし政治的な待遇面でNWA会長の[[サム・マソニック]]派と衝突し、[[1960年]][[5月]]にミネソタ地区のプロモーター達と共にNWAを離脱。[[ミネアポリス]]を本拠地とする[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]を創設した。
 
以降、[[AWA世界ヘビー級王座]]を通算10回獲得し長期間トップレスラーとして君臨。若き日の[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]、[[マサ斎藤]]、[[ニック・ボックウィンクル]]等の強豪選手をAWA所属選手として招請し、短期間でNWAの対抗勢力にまで成長させプロモーターとしても大活躍。AWA会長にはならなかったものの実権を掌握し、AWAの帝王と呼ばれるようになる。また、[[リック・フレアー]]をはじめ幾多の名レスラーをスカウト、育成したことでも有名である。
 
[[1981年]]1月18日には[[ジャイアント馬場]]3000試合連続出場突破記念試合で馬場の保持する[[PWF]]ヘビー級王座と自身の保持するAWA世界ヘビー級王座のダブル[[タイトルマッチ]]を行い(3本勝負で行われ1-1のドローで両者王座防衛)、その年の[[プロレス大賞]]ベストバウトに選ばれている。同年5月、AWA王座を保持したまま引退。
 
しかし、アマレスの名選手だったガニアはレスリングの基礎がしっかりしたレスラーを重用する傾向が顕著で、彼の引退後に台頭してきた[[ハルク・ホーガン]]や[[ロード・ウォリアーズ]]などの派手なパワーファイターには懐疑的で彼らの商品価値を見誤り、[[1983年]]以降のWWF(現[[WWE]])のプロモーション戦略に押され有力所属選手が次々と離脱。勢力の回復に尽力するが、AWAの人気は凋落し[[1991年]]に崩壊した。AWA崩壊後にガニアは[[破産|自己破産]]した。[[ミネソタ州]][[知事]]となった元プロレスラー[[ジェシー・ベンチュラ]]の相談役として表に出たこともあったが、現在はミネアポリス郊外でひっそりと余生を過ごしているといわれている。
 
[[2006年]]、[[WWE殿堂]]に迎えられ久々に公の場に姿を見せた。ガニアの場合はWWEの歴史上には「対立組織の総帥」としてしか登場しないが、WWWF設立以前の[[マディソン・スクウェア・ガーデン]]の主役ではあったが、彼の受賞をきっかけとしてWWEの歴史には登場しない他のNWA、AWA系の人物たちも続々と殿堂入りを果たしている。
 
==日本との関係==
[[1970年]][[2月]]に[[国際プロレス]]に参戦するため初来日。同時に業務提携を結び、以降ブッカーとして多数の選手を来日させた。国際プロレスの[[吉原功]]社長と太いパイプで結ばれており、[[1974年]][[11月]]にガニア、ニック、[[ビル・ロビンソン]]、[[レイ・スチーブンス]]のAWA四大スターを送り込んだシリーズはファンの間で伝説となっている。ただし、ビジネスに関しては相当シビアだったと言われており、ブッキング[[手数料]]の負担に耐えかねたのが国際がAWAとの提携を解消した一因といわれている(ただしその後も、ガニアやニックが単発的に国際に参戦している)。その後は[[全日本プロレス]]と業務提携を結び、[[ジャイアント馬場]]や[[ジャンボ鶴田]]らと対戦。自身を破ってAWA世界ヘビー級王者となった[[ニック・ボックウィンクル]]らを送り込んでいる。全日本との提携は[[1980年代]]後半まで続き、鶴田AWA奪取、ニックと[[ハーリー・レイス]]の夢の世界王者コンビ、AWA王者[[リック・マーテル]]と[[NWA (プロレス)|NWA]]王者[[リック・フレアー]]のダブル世界戦など数々のドリームマッチを日本にもたらした。いっぽうガニアの方も日本マットを通じてロビンソンらの有力なレスラーをAWA圏に招聘できた。
 
==獲得タイトル==
*[[AWA世界ヘビー級王座]]
*[[ハ]]版世界ヘビー級王座(AWA世界ヘビー級王座に統一)
*AWA世界タッグ王座
*NWA世界ジュニアヘビー級王座
*[[IWA世界ヘビー級王座]](国際プロレス)
 
*他、[[2006年]]に[[WWE殿堂]]入り。
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