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寛政10年([[1798年]])、初代当主[[徳川重好]]が嗣子を残さずに死亡した事により空跡となっていた清水徳川家の第2代当主となり同家を再興させた。しかしその翌年、わずか4歳で病没。院号は体門院。嗣子があるはずも無く、その後再び清水徳川家は空位となり、[[文化 (元号)|文化]]2年([[1805年]])になって異母弟の[[徳川斉順]]が継いだ。
 
{{先代次代|[[清水徳川家|清水徳川家当主2代]]|1798~1799|[[徳川重好|清水重好]]|[[徳川斉順|清水斉順]]}}
 
[[Category:徳川氏|あつのすけ]]
[[Category:清水徳川氏|あつのすけ]]
[[Category:1796年生|とくかわ あつのすけ]]
[[Category:1799年没|とくかわ あつのすけ]]