「斜線陣」の版間の差分

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Tantalos (会話 | 投稿記録)
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[[レウクトラの戦い]]において、[[スパルタ]]を中心にした[[ペロポネソス同盟]]軍と対峙したエパメイノンダス率いるボイオティア軍は、斜線陣を採用し左翼へ兵力を集中させた。ファランクスでの一般戦列が8~16列であったのに対し、斜線陣左翼の厚みは50列あったとも言われる。ペロポネソス同盟軍は最精鋭のスパルタ軍が右翼を担っていたが、突撃を遅らせたボイオティア軍右翼がペロポネソス同盟軍左翼と激突する頃にはすでにペロポネソス同盟軍右翼は崩壊していた。
 
その後、[[マンティネアの戦い (紀元前362年)|マンティネアの戦い]]でエパミノンダスは戦死し、彼の[[戦闘教義]]を継承できるだけの人材はもはやテーバイにはおらずテーバイは衰退したが、斜線陣をはじめとする戦術は、テーバイへ人質として送られていた[[古代マケドニア]]の[[ピリッポス2世]]によって受け継がれた。そして、皮肉にもその戦術を以って彼は[[カイロネイアの戦い]]で[[アテナイ]]・テーバイ連合軍を破り、ギリシアの覇権を手中に収めた。
 
[[Category:古代ギリシア|しやせんしん]]