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István (会話 | 投稿記録)
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==日本の伝統的な砲術==
天保12年、ポルトガル人が種子島に砲術を伝えた。
三箇条の相伝であるといい、それは、(1) 「心を正しくして思邪なし」、(2) 「身を直ぐにして気を正しくす」、(3) 「一眼を眇して的に中す」であった。
種子島時堯の臣である篠川小四郞はこの術を習い、百発百中するに至ったという。
 
砲術は、火縄銃が[[弓術]]と比較すれば命中率と速射が及ばない事に対し[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の時点で射撃の名手(「砲術家」)が主に命中と速射に重点を置きあみだした[[射撃]]術である。これに[[江戸時代]]に入ると日本独特と云われる大筒抱え打ちの業([[大鉄砲]])が加わった。