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'''フランク永井'''(ふらんくながい、[[1932年]][[3月18日]] - [[2008年]][[10月27日]])は[[日本]]の[[ムード歌謡]][[歌手]]である。本名は、'''永井 清人'''(ながい きよと)。[[宮城県]][[志田郡]][[松山町 (宮城県)|松山町]](現・[[大崎市]])出身。独特の低音は多くの人を魅了し、歌謡界に多くの軌跡を残した。
 
== 経歴 ==
歌手にあこがれ上京。[[進駐軍]]のキャンプ地でのトレーラー運転手、アルバイト生活を経て[[アメリカ軍]]のクラブ歌手として月100ドルで契約する。さまざまな「のど自慢大会」に出場し「のど自慢荒らし」の異名をとっていたが、[[1955年]](昭和30年)に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の素人のど自慢の年間ベストワンに選ばれたのを期に[[ビクターエンタテインメント|ビクター]]と契約。同年9月に恋人よ我に帰れでデビューする。
 
[[ジャズ]]を得意としたがヒットに恵まれず、先輩歌手である[[ディック・ミネ]]の勧めや作曲家・[[吉田正]]との出会いを期に歌謡曲に転向。[[1957年]](昭和32年)の[[有楽町]]で逢いましょう(これは、今は閉店となった有楽町[[そごう]]のキャンペーンソングである)が爆発的ヒットとなり、一躍スターの座へ。自ら見出した[[松尾和子]]と共に歌った[[1959年]](昭和34年)の[[東京ナイト・クラブ]]は、[[デュエット|デュエットソング]]の定番として現在でも歌い継がれている名曲である。
 
[[1961年]](昭和36年)には二村定一のヒット曲君恋しを[[ロカビリー]]風にカバーし大ヒット。人気を不動のものとする。吉田とのコンビでも霧子のタンゴ妻を恋うる唄などのヒットを連発するがなかでも[[おまえに]]は[[1966年]](昭和41年)に発表された「大阪ろまんの[[レコード#A面/B面|B面]]の曲であったが、昭和歌謡史に残る名曲・名唱として人気が高く6年後の[[1972年]](昭和47年)には[[レコード#A面/B面|A面]]で発売され、更に[[1977年]](昭和52年)には再録音の上発売された。意欲的な試みにも積極的で、「君恋しをゴーゴー風やジャズ風のアレンジで再録音したり、[[1973年]](昭和48年)にはイタリアへ飛びトランペッターの[[ニニ・ロッソ]]と共演し、録音を残している。
 
コンサートにおいては、趣向を凝らし緻密に練り上げられた構成のステージングに定評があった。フランクはNHKで一席を披露したこともあるほどの落語好きとしても知られステージのMCで小噺を披露することもあり、自宅の電話の保留音はファンだった[[三笑亭可楽#8代目|8代目三笑亭可楽]]の出囃子にしていた。レコード大賞とも縁が深く大賞1回、歌唱賞2回、特別賞3回、受賞している。可楽も「フランク永井って人があたしを贔屓にしてくれるんですよ」とよく話しており、十八番のらくだの屑屋の科白に「くず~うぃ。・・・低音の魅力だね。こりゃあ」というくすぐりを入れていた。また[[牧伸二]]も漫談で「フランク永井は低音の魅力、牧伸二は低能の魅力」というネタを披露していた。
 
NHK紅白歌合戦とも縁が深く、1957年(昭和32年)の第8回から[[1982年]](昭和57年)の第33回まで連続26回出場している。現役出場時島倉千代子と並び、紅白最多出場者だった。昭和50年代以後もコンスタントにヒットを出していたが、[[山下達郎]]作詞・作曲のWomanが話題を呼んでいた翌[[1983年]](昭和58年)に紅白落選。このことはフランクにとって大きなショックだったと言われた。
 
[[1985年]](昭和60年)[[10月21日]]、自宅にて首吊り[[自殺]]を図る。その原因は数日後に、[[愛人]]との間の子供の養育費の請求を苦によるものと判明した(しかし自殺未遂後に愛人側が認知を求めて起こした裁判の際、DNA鑑定を行うも愛人と永井フランクとの子供の確率はほぼ無いと結果が出ている)。夫人の発見が早かった事も有り一命は取り留めたが、会話が不自由となり記憶が乏しくなるなど脳に重い[[後遺症]]を患った。
 
一時は[[リハビリ]]治療によって看護士と冗談が言えるほど回復し復帰も早期に行われる見込みだったが、次第に悪化。四国での転地療養など様々な方法を試みたが好転しなかった。やがて周囲も復帰を諦めていったが恩師の吉田だけは亡くなるまで諦めず、よくフランクを見舞っていた。また、吉田と話すときのフランクは常人と変わらない状態で話すことが出来たと関係者が明かしている。
 
愛妻家と知られていたが夫婦の間に子は無く長年連れ添った夫人とはフランクの介護問題及び財産問題での親族とのトラブルによる心労で離婚し、その後は実姉が面倒を見ていたが実姉の年齢的な問題や金銭的問題から現在は自宅も売却、フランクは施設で介護されていた。
 
[[2008年]][[10月27日]]、東京の自宅で逝去<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20081102-425290.html フランク永井さん死去していた] 日刊スポーツ [[2008年]][[11月2日]]閲覧</ref>。{{|1932|3|18|2008|10|27}}。一般への情報公開前に、葬儀・告別式が密葬で行われた
一般への情報公開前に、葬儀・告別式が密葬で行われた。
 
== 主な作品 ==
*13800円 [[1957年]]([[昭和]]32年) - 13800円は、当時の大卒初任給の平均額
*東京午前三時 1957年(昭和32年)
*夜霧の第二国道 1957年(昭和32年)
*有楽町で逢いましょう 1957年([[昭和]]32年) - 有楽町[[そごう]]のキャンペーンソング。本来[[三浦洸一]]の吹き込み予定作だったが、作曲した[[吉田正]]の強い希望でフランクに回った。
*羽田発7時50分 [[1958年]](昭和33年)
*街角のギター 1958年(昭和33年)
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*大阪野郎 1960年(昭和35年)
*東京カチート 1960年(昭和35年)
*君恋し [[1961年]](昭和36年) - 元は二村定一のヒット曲 ([[1928年]](昭和3年))。
*悲しみは消えない [[1962年]](昭和35年)
*初恋の詩 1962年(昭和35年)
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*船場ごころ [[1967年]](昭和42年)
*加茂川ブルース [[1968年]](昭和43年)
*おまえに [[1977年]](昭和52年) - 元は「大阪ろまん」B面曲。[[1972年]](昭和47年にもシングル発売。
*11時過ぎから [[1977年]](昭和52年) - 松尾和子とのデュエット曲。
*公園の手品師 [[1978年]](昭和53年)- フランク自身によるリメイク。元は1958年(昭和33年)の作品。
*WOMAN [[1982年]](昭和57年) - [[山下達郎]]プロデュース作品。
=== 映画 ===
 
*『[[夜霧の第二国道]]』(1958年、[[日活]]) 本人(歌手)役
===映画===
*[[夜霧の第二国道羽田発7時50分]](1958年、[[日活]]本人 テストドライバー永井歌手通称フランク)役
*「[[羽田発7時50分]]」(1958年、[[日活]])テストドライバー永井(通称フランク)役
:ほか多数。
 
=== テレビ番組 ===
*[[今夜は最高!]] ※ パートナーは[[矢野顕子]](日本テレビ)
*[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]][[テレフォンショッキング]] ※ [[阿川泰子]]からの紹介 (フジテレビ)
 
== 主題歌 ==
*[[七人の刑事]]([[東京放送|TBSテレビ]])
 
== 受賞歴 ==
''';レコード大賞'''
*[[1959年]](昭和34年) - 「夜霧に消えたチャコ」 - 第1回・作曲賞、歌唱賞
*[[1961年]](昭和36年) - 「君恋し」 - 第3回・大賞
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*[[1963年]](昭和38年) - 「赤ちゃんは王様だ」 - 第5回・歌唱賞
*[[1973年]](昭和48年) - 第15回・制定15周年記念賞
''';その他の賞'''
 
'''その他の賞'''
*[[1965年]](昭和40年) - リサイタル「慕情-歌と共に10年」 - 芸術祭奨励賞
*[[1970年]](昭和45年) - リサイタル「ある歌手の喜びと悲しみの記録」 - 芸術祭優秀賞
*[[1971年]](昭和46年) - 芸術選奨文部大臣賞(歌謡曲歌手として初の受賞)
 
== NHK紅白歌合戦出場歴 ==
フランクは1957年(昭和32年)の第8回初出場以来、1976年(昭和51年)の第27回まで同じく第8回初出場の[[島倉千代子]]と共に史上初の20回連続出場記録を樹立。その後、1982年(昭和57年)まで連続26回出場した。また[[三波春夫]]が[[1984年]](昭和59年)に27回目の出場を決めるまで白組最多出場者であった(演歌歌手以外のベテラン歌手を紅白に残したいというNHKの考えがあったためといわれている)
 
{| class="wikitable"
<table border="1" cellpadding="2" cellspacing="0">
<tr><th|style="text-align:center" bgcolor="#ffeeeee>"|'''年度/放送回<th'''||style="text-align:center" bgcolor="#ffb5>"|'''<th'''||style="text-align:center" bgcolor="#fbbbb>"|'''曲目<th'''||style="text-align:center" bgcolor="#ffgggggg>"|'''出演順<th'''||style="text-align:center" bgcolor="#fffffff>"|'''対戦相手'''
<caption></caption>
|-
<tr><th bgcolor=#ffeeeee>年度/放送回<th bgcolor=#ffb5>回<th bgcolor=#fbbbb>曲目<th bgcolor=#ffgggggg>出演順<th bgcolor=#fffffff>対戦相手
<tr><td>|[[1957年]](昭和32年)/第8回<td>||<td>||東京午前三時<td>||10/25<td>||[[大津美子]]
|-
<tr><td>[[1958年]](昭和33年)/第9回<td>2<td>西銀座駅前<td>10/25<td>[[越路吹雪]](1)
<tr><td>|[[19591958年]](昭和3433)/第109<td>3<td>俺は淋しいんだ<td>12||2||西銀座駅前||10/25<td>||[[ペギー葉山越路吹雪]]
|-
<tr><td>[[1960年]](昭和35年)/第11回<td>4<td>東京カチート<td>12/27<td>[[越路吹雪]](2)
<tr><td>|[[19611959年]](昭和3634)/第1210<td>5<td>君恋||3||俺は淋<td>いんだ||12/25<td>||[[ペギー葉山]](2)
|-
<tr><td>[[1962年]](昭和37年)/第13回<td>6<td>霧子のタンゴ<td>24/25<td>[[西田佐知子]](1)
<tr><td>|[[19631960年]](昭和3835)/第1411<td>7<td>逢いたくて<td>16||4||東京カチート||12/25<td>[[27||越路吹雪]](3)(2)
|-
<tr><td>[[1964年]](昭和39年)/第15回<td>8<td>大阪ぐらし<td>15/25<td>[[ペギー葉山]](3)
<tr><td>|[[19651961年]](昭和4036)/第1612<td>9<td>東京||5||君恋ぐれ<td>22||12/25<td>[[坂本スミ子]]||ペギー葉山(2)
|-
<tr><td>[[1966年]](昭和41年)/第17回<td>10<td>大阪ろまん<td>24/25<td>[[西田佐知子]](2)
<tr><td>|[[19671962年]](昭和4237)/第1813<td>11<td>生命ある限り<td>11||6||霧子のタンゴ||24/23<td>25||[[岸洋西田佐知子]]
|-
<tr><td>[[1968年]](昭和43年)/第19回<td>12<td>加茂川ブルース<td>07/23<td>[[三沢あけみ]](2)
<tr><td>|[[19691963年]](昭和4438)/第2014<td>13<td>君恋し(2回目)<td>20||7||逢いたくて||16/23<td>[[ザ・ピーナッツ]]25||越路吹雪(3)
|-
<tr><td>[[1970年]](昭和45年)/第21回<td>14<td>大阪流し<td>15/24<td>[[辺見マリ]]
<tr><td>|[[19711964年]](昭和4639)/第2215<td>||8||大阪ぐらし||15<td>羽田発7時50分<td>17/25<td>[[本田路津子]]||ペギー葉山(3)
|-
<tr><td>[[1972年]](昭和47年)/第23回<td>16<td>君恋し(3回目)<td>18/23<td>[[島倉千代子]](1)
<tr><td>|[[19731965年]](昭和4840)/第2416<td>17<td>有楽町で逢いま||9||東京ょう<td>17/ぐれ||22<td>/25||[[佐良直美坂本スミ子]]
|-
<tr><td>[[1974年]](昭和49年)/第25回<td>18<td>おまえに<td>22/25<td>[[青江三奈]](1)
<tr><td>|[[19751966年]](昭和5041)/第2617<td>19<td>君恋し(4回目)<td>20||10||大阪ろまん||24/24<td>[[八代亜紀]]25||西田佐知子(2)
|-
<tr><td>[[1976年]](昭和51年)/第27回<td>20<td>東京午前三時(2回目)<td>18/24<td>[[島倉千代子]](2)
<tr><td>|[[19771967年]](昭和5242)/第2818<td>21<td>おまえに(2回目)<td>16||11||生命ある限り||11/24<td>23||[[いしだあゆみ岸洋子]]
|-
<tr><td>[[1978年]](昭和53年)/第29回<td>22<td>公園の手品師<td>14/24<td>[[水前寺清子]]
<tr><td>|[[1968年]](昭和43年)/第19回<td>||12<td>||加茂川ブルース<td>||07/23<td>[[||三沢あけみ]](2)(2)
<tr><td>[[1979年]](昭和54年)/第30回<td>23<td>東京午前三時(3回目)<td>17/23<td>[[島倉千代子]](3)
|-
<tr><td>[[1980年]](昭和55年)/第31回<td>24<td>恋はお洒落に<td>14/23<td>[[島倉千代子]](4)
<tr><td>|[[19811969年]](昭和5644)/第3220<td>25<td>おまえに(3||13||君恋し(2回目)<td>09)||20/22<td>23||[[島倉千代子ザ・ピーナッツ]](5)
|-
<tr><td>[[1982年]](昭和57年)/第33回<td>26<td>有楽町で逢いましょう(2回目)<td>10/22<td>[[青江三奈]](2)
<tr><td>|[[1970年]](昭和45年)/第21回<td>||14<td>||大阪流し<td>||15/24<td>||[[辺見マリ]]
</table>
|-
(注意点)
|[[1971年]](昭和46年)/第22回||15||羽田発7時50分||17/25||[[本田路津子]]
|-
<tr><td>|[[1972年]](昭和47年)/第23回<td>||16<td>||君恋し(3(3回目)<td>)||18/23<td>||[[島倉千代子]](1)
|-
|[[1973年]](昭和48年)/第24回||17||有楽町で逢いましょう||17/22||[[佐良直美]]
|-
<tr><td>|[[1974年]](昭和49年)/第25回<td>||18<td>||おまえに<td>||22/25<td>||[[青江三奈]](1)
|-
|[[1975年]](昭和50年)/第26回||19||君恋し(4回目)||20/24||[[八代亜紀]]
|-
<tr><td>|[[1976年]](昭和51年)/第27回<td>||20<td>||東京午前三時(2(2回目)<td>)||18/24<td>[[||島倉千代子]](2) (2)
|-
|[[1977年]](昭和52年)/第28回||21||おまえに(2回目)||16/24||[[いしだあゆみ]]
|-
<tr><td>|[[1978年]](昭和53年)/第29回<td>||22<td>||公園の手品師<td>||14/24<td>||[[水前寺清子]]
|-
<tr><td>|[[1979年]](昭和54年)/第30回<td>||23<td>||東京午前三時(3(3回目)<td>)||17/23<td>[[||島倉千代子]](3)(3)
|-
<tr><td>|[[1980年]](昭和55年)/第31回<td>||24<td>||恋はお洒落に<td>||14/23<td>[[||島倉千代子]](4)(4)
|-
|[[1981年]](昭和56年)/第32回||25||おまえに(3回目)||09/22||島倉千代子(5)
|-
<tr><td>|[[1982年]](昭和57年)/第33回<td>||26<td>||有楽町で逢いましょう(2(2回目)<td>)||10/22<td>[[||青江三奈]](2)(2)
|}
*対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数を表す。
*曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
*出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
 
== 関連項目 ==
*[[ムード歌謡]]
*[[演歌]]
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== 外部リンク ==
*[http://www5a.biglobe.ne.jp/~ada-kazu/new_page_252.htm 有楽町で逢いましょう]、[[作詞]]:[[佐伯孝夫]]、[[作曲]]:[[吉田正]]、 [[唄]]:フランク永井、[[昭和32年]]([[1957年]])
 
{{DEFAULTSORT:ふらんくなかい}}
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:宮城県出身の人物]]
163 ⟶ 185行目:
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]
[[Category:日本レコード大賞受賞者]]
{{DEFAULTSORT:ふらんくなかい}}
 
[[en:Frank Nagai]]