「末弘威麿」の版間の差分

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[[1860年]]、[[公家]][[徳大寺公純]]の4男として[[京都]]に生まれる。兄に[[公爵]][[徳大寺実則]]([[宮内大臣]])、[[公爵]][[西園寺公望]](第12・14代[[内閣総理大臣]])、[[男爵]][[住友友純]](15代住友吉左衛門)がいる。兄公望が[[フランス]]へ留学のため渡航する際、西園寺家の断絶を憂慮した父の命で、急遽兄公望の養子となる。しかし、はなはだしく素行が悪かったために継嗣の座を廃され西園寺家から籍を外され実家の徳大寺家からも入籍を拒否されたため、母方の末弘家を継いだ。西園寺家は公望の婿養子である八郎(毛利公爵家出身)が継ぐこととなる。威麿は'''[[立命館大学]]と関係が深い'''。