「桐壺更衣」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Masyu (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
藤壺部分をコメントアウト
5行目:
 
特別身分高い出自ではなかったが、桐壺帝の寵愛を一身に受けていたため、他の[[女御]]、更衣たちから疎まれたうえ、彼女らの後ろ盾である重鎮の貴族からは[[楊貴妃]]にあてこすられて、有形無形の嫌がらせを受けた。その心労から病気がちになり、帝の第二皇子(光源氏)を出産するも、源氏が3歳の時に里下り直後に危篤となり死去。女御にもできなかったことを後悔した帝により、[[従三位]]を追贈された。
<!--
 
桐壺更衣の死後、帝の悲しみは深く、「[[楊貴妃]]を亡くした[[玄宗 (唐)|玄宗皇帝]]のような悲しみよう」と言われた。更衣のことを忘れられない帝は、後に更衣に酷似しているといわれる先帝の四の宮を迎える([[藤壺]]。後に[[中宮]]となる)。
 
幼くして母を亡くした源氏は、亡き母に似ていると教えられた藤壺を慕うようになる。それがやがて一人の女性への愛情へと変わっていき、源氏にとって藤壺は永遠の恋人となる。
-->
 
== 人物 ==
若くして亡くなった薄幸の女性というほかには際立って印象に残るエピソードは無いが、『源氏物語』(正編)の全体に影を落とす存在である。
<!--
 
彼女に似た藤壺は最初、母に似た源氏の憧れの人として、後には罪の共有者として重い役割を果たし、その藤壺に似た面差しの少女[[紫の上|若紫]]は源氏の妻として彼の人生に大きく絡んでゆく。彼女たちのつながりは古歌にちなんで「紫の縁(ゆかり)」と呼ばれるが、彼女たちの通称もまた[[キリ|桐]]、[[フジ (植物)|藤]]などいずれも紫にちなんでいる。
-->
 
「[[桐壺]]」の巻が『[[長恨歌]]』をオマージュして書かれたことから、桐壺更衣のモデルはヒロインの[[楊貴妃]]であると考える説や、また藤原沢子([[仁明天皇]]女御、[[光孝天皇]]生母)をモデルとする説などがある。