「ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェク」の版間の差分

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[[ボヘミア]]の[[ヴァンベルク]]で教師の息子として生まれる。1810年から1813年まで[[プラハ・カレル大学|プラハ大学]]で学び、1812年より[[ヤン・ヴァーツラフ・トマーシェク]]の弟子となる。1813年になると[[ウィーン]]に移り、そこで法律を学びながら[[ヨハン・ネポムク・フンメル]]にピアノを師事した。ウィーンでは音楽サロンに参加し、そこで1814年に[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]と知り合う。1818年には[[ウィーン楽友協会]]の会員に、1823年には宮廷オルガン奏者となった。1825年に肺結核のためウィーンで死去。
 
作品としては、ピアノ曲として[[狂詩曲]]、[[即興曲]]、[[変奏曲]]、[[ピアノソナタ]]があり、そのほかに室内楽曲、歌曲、[[交響曲]]ニ長調などがある。また、自筆の[[教会音楽]]作品が残っている。作風はベートーヴェンの影響が強く感じられる。
 
狂詩曲Op.1は、ベートーヴェンの注目を浴びていたとも伝えられている。